銀樹の大河ドラマ随想

2018年「西郷どん」伴走予定。「おんな城主 直虎」(2017)についても平行して書こうかと。

西郷どん 第5回「相撲じゃ!相撲じゃ!」 感想

御前相撲に湧く薩摩藩士。そしてラブコメ

第5回:2018年2月4日(日) 「相撲じゃ!相撲じゃ!」

(演出は1~4回の野田さんから変わって益子原誠さん)

 

あらすじ

 斉彬(渡辺謙)新藩主就任に浮き立つ薩摩藩。「空の色まで違って見える」と村田新八(堀井新太)と西郷吉之助(鈴木亮平)が話していると、「相撲じゃ、相撲じゃ、相撲じゃ~」と、大山格之助(北村有起哉)・有馬新七(増田修一朗)が大騒ぎしながら駆け寄ってきます。有馬は勢い余って村田に体当たりし、2人で川に落ちてしまいました。

 今回はこの下鍛冶屋町郷中・高麗町郷中の二才(にせ)達(=後の精忠組メン)のわちゃわちゃ青春物語がメインです。

 新しい殿様の前で御前相撲が開かれることになり、それには藩士の誰でも出場のチャンスがあると聞いて吉之助も大興奮。早速皆で西郷家の庭に集まり、相撲の稽古をすることに。優勝者には米10俵も下賜されるということもあり、皆それぞれとても意気盛ん。

 そこへ岩山糸(黒木華)が姿を見せます。謹慎中の大久保正助(瑛太)が使えるよう、紙を持って行くとのこと。糸は吉之助が好きなのですが、このドラマでは西郷家と大久保家が庭をはさんで行き来できるお隣同士という設定のため、閉門扱いになっている大久保家に用があると言えば、西郷家を経由できるのですね。

 また大久保家の方が少し家の土台が高いという設定でもあるので、大久保家にいて内職を手伝っていれば西郷家の様子=吉之助の様子を垣間見れるという訳です。秘かに恋する乙女の知恵ですねぇ。

 吉之助は親友正助のためという糸の行動に「そいはよか」とにっこり。正助はこれまた糸に思いを寄せているため、男の体面もあるのか「こんな高価なものを(昔、紙は貴重品でした)」と遠慮しますが、吉之助のとりなしでありがたく受け取ることにしました。その後、向かいの庭で相撲の稽古を始める郷中の皆を見て「ないな?急に」といぶかります。そこで吉之助から今度御前相撲があることを説明され、浮かない顔をする正助でした。せっかく華々しい機会が設けられるのに、自分は未だ謹慎中で関わることができないからでしょうか。(大久保正助大久保利通は大の相撲好きだったそうです。)

 そこへ「う~、あ~!」と荒々しく叫びながら、有村俊斎(高橋光臣)が駆け込んできました。俊斎が言うには、斉彬は父斉興の藩政方針を最初は継承し、お由羅騒動で処罰された人々の赦免も見合わせるとのこと。大久保正助はますます意気消沈し、母の福(藤真利子)もそれを聞いて失望のあまり倒れてしまいます。

 そこで、吉之助と(後の)精忠組メンは「こうなったら何が何でも御前相撲で一番を勝ち取り、大久保次右衛門と正助の赦免を斉彬公に直訴する!」と決意するのです。

 その頃、弟久光(青木崇高)を連れて父斉興(鹿賀丈史)を機嫌伺いに訪れた斉彬は、斉興とその愛妾由羅(小柳ルミ子)にけんもほろろの扱いを受けていました。流れで間に入らざるを得なくなった久光は、兄をフォローしても素直に頷かない父母の頑固さに困り果てている様子を見せます。

 さてそんなある夜、岩山糸は父から海老原重勝(蕨野友也)との縁談話を言い渡されました。吉之助への思慕を抱く糸は思い悩み、履いていた下駄の片方を蹴り上げ「表が出たら嫁に行く、裏が出たら…」と恋占いをしますが、下駄は勢い余って川に落ち、真下で鰻取りをしていた吉之助の頭に命中します。片足の下駄を無くした糸を、吉之助は親切心から背負って大久保家まで連れて行きますが、その様子は偶然にも、仲間と川岸にいた縁談相手の海老原重勝(=糸を見初めた人)に見られていました。

 その後に西郷家で行われた勝負の結果、下鍛冶屋町郷中の相撲代表は村田新八ということになります。また、吉之助の祖母きみ(水野久美)の発言で、糸の縁談が決まったことも皆に暴露されました。正助と糸は、それぞれの思惑により困惑の表情を見せてしまいます。ことに正助から糸への想いは、吉之助以外の仲間皆にはもう、既にバレていました。俊斎は「糸さぁも正助どんに惚れちょっど」とたきつけます。惚れていなければこんなにしげしげ大久保家に通うはずがないと(本当は大久保家から吉之助を盗み見するのが糸の目的なわけですが)。

 吉之助は下駄を片方失くした糸のために草履を編み、妹の琴(桜庭ななみ)を通じて渡します。嬉しそうに受け取ってそれを履く糸でした。

 

 さて御前相撲の当日。観覧席には斉彬の他、島津一門四家の姫君方が華やかに装って着き、その美しさに人々はざわめきます。その中には篤姫として後に将軍家に嫁ぐ、今泉島津家の於一(おいち、北川景子)も混じっていました。

 そんな中、吉之助ひとりは姫君方に目もくれず、ただ幼い日からの憧れの人・斉彬のことだけを考えています。

 この日、運悪く下鍛冶屋町代表の村田新八はお腹を壊して厠に籠もり切りとなり、とても土俵に上がれる状態ではありませんでした。届出を新八の名で出してあるため吉之助や有馬新七は困り果てますが、背に腹は代えられず、吉之助が土俵に上がることを決意します。一度はまかりならぬと殿様お側用人の山田(徳井優)に制止された吉之助ですが、斉彬の意向で代理を許されることに。吉之助はますます斉彬への敬慕を強めるのでした。

 その頃、糸は御前相撲の見物には行かず、吉之助にこの間の草履のお礼をと、西郷家を訪れていました。正助はそんな糸を呼び止めてその気持ちを確かめようとするのですが、人の感情に敏感なところのある彼はその時、糸が自分ではなく吉之助を好きなのだと見抜いてしまいます。

 一方、吉之助は順調に勝ち上がります。観覧席にいた於一は相撲見物を楽しんでおり、隣に座った重富島津家の於哲(おあき、杉岡詩織)と、取組のどちらが勝つかお菓子を賭けたりしています。そんな於一に斉彬は「次は私と賭けんか」と一言。於一が吉之助の相撲を気に入ったことを見抜き、彼に賭けるか?と挑発するのです。於一は受けて立ち、吉之助は決勝でも見事糸の許婚者である海老原重勝を下し、優勝を果たしました。於一の勝ちを宣言した後、斉彬は土俵に下り、優勝者の吉之助になんと自ら相撲勝負を挑みます。畏れ入る吉之助に対し「余が相手では不服か」と声をかけ、強引に勝負を迫るのです。

 父吉兵衛はじめ、吉之助の仲間達は皆「勝つな!」「首が飛ぶぞ!」と吉之助を諫めます。しかし卑怯なことが苦手でもあり、また幼い日に斉彬から「強くなれ」と声を掛けられたことを忘れられなかった吉之助は迷いに迷った末、決死の覚悟で勝負に出ることに。そして激戦の末、斉彬を投げ飛ばしてしまうのでした…。

 そのせいで、勝ったとはいえ吉之助は牢に入れられてしまいます。その牢には、もう一人、変わった髪型・服装をした謎の男(劇団ひとり)が先に入れられていました。

 

精忠組メンズのわちゃわちゃ感楽し

演技で魅せてくれる土臭い青春物語

 今回、表のメインテーマが相撲、ということで、郷中の二才どん達を演じる俳優の皆さんの姿が熱かった。吉之助役の鈴木亮平さんを初めとして、高校生の部活さながらに相撲に熱中する姿を演じてくれます。で、皆さん実はほぼ30代、大山格之助を演じる北村有起哉さんが43歳で最年長、村田新八を演じる堀井新太さんが最年少で25歳。でもなんかちゃーんとダンスィ感出てまして。わちゃわちゃ楽しい。

 こういう群像的な描写はここ最近=2000年代以降に作られた幕末大河の、もはやお約束感がありますが。西郷どんの場合の、いわゆる男子の筋肉自慢っていうのはなんかそれなりにリアリティあっていいんじゃないかなって思いました。うん、これはいつの時代でもあんまり変わらなそうだよね。

 そんな中でひとり大久保家の正助どんだけが、藩主交代騒動(お由羅騒動)の影響で謹慎中なわけですが、じゃあ彼のためにも勝とうぜー!っていう脳筋っぷりもなにせ舞台が薩摩藩なのでリアルなんじゃないかと感じます。

 今後、ストーリーが進めば、このメンバーで日本をひっくり返したりもしちゃうわけで。後々敵味方に分かれるメンツもいますし。今はがっつり仲良しなところを描写しておくのはありだなぁと。

 で、もちろんそんな中で、鈴木亮平さん演じる吉之助の存在感は抜群です。なにしろガタイが素晴らしい。作り込まれてます。あとやはり、「斉彬様の前で相撲が取れる!」という可能性を想像しただけで、舞い上がってアツくなってしまう心情描写も熱量がすごい。ここらへんはきっと、ある程度体力勝負、みたいなところもあるんでしょうね。今回は主人公感が素晴らしく出ている吉之助どんでありました。

 

実らぬ初恋の一方通行がなんとも王道

糸ちゃんも正助どんも可愛い…これも芸の力です

 そうして汗と土ぼこりにまみれ、男くさい部活物語めいた展開をしている主流ダンスィーズを横目に見つつ、準主役ともいうべき正助どんは、ひたすら学習・写本の毎日。前回・第4回では他の家族たちと一緒に傘張りの内職をしていましたが、斉彬様が藩主になられたということで、ご赦免を期待しているからです。「声がかかったら、いつでんお役目に戻れるよう備えておらんにゃいけもはんで」と思っているのですね。

 そんな正助のために隣人でもあり親友でもある吉之助は、せっせとよそから本を借りて来てやり、糸は写本のための紙を差し入れします。糸のことを好いている正助はますます彼女を好ましく思うわけですが、糸の方は吉之助に会っても不自然ではないよう、状況を利用しているかたちです。

 

 この2人がすごーくおぼこい(初々しい)感じで良かったと思います。正助を演じる瑛太さんは35歳でお子さんもいらっしゃいますし、黒木華さんも今や27歳。両方とも完全に演技力で出している初々しさ。俳優さんって素晴らしいなと思います。

 なぜかといえば、この第5回はなんといっても肉体を張っての相撲演技が素晴らしかったので。でも、では正助と糸のシーンが見劣りしたかというと、全然そんなことはなくて。幕末はいちおう自由恋愛の時代ではないので、気持ちがあるからといって簡単には告白ができないわけですよ。そういう条件下で、でも胸に秘めた想いが大切で、大事にしたくて。

 吉之助達が御前相撲に行っている間に正助と糸が語り合うシーンは、そんな揺れる心がじんわりとこちらに伝わってくる、名シーンだと思いました。

 

 江戸時代以降の場合、「お家を絶やさないための結婚」が一にも二にも大事、というのが時代劇のお約束事項のような暗黙の了解になっています。なので、考えてみたらわりとこの「実らぬ初恋の一方通行」的切なさ、というのは王道エピだという気がしないでもないですが。でも設定としてはあるあるだけど、演技で好感度高く、美しく魅せて頂きました。

 

大久保正助=後の利通の人間らしさを描くエピソード

 私はそもそも最初は、糸をはさんだ吉之助と正助の三角関係とか誰得?と懐疑的だった方なんですが、この回を観て「ああなるほど、これは正助(後の大久保利通)の人間的な側面を描くエピソードとしては意味あるかも」と思いましたね。

 他の幕末ドラマでは、あんまり大久保って厚みのあるキャラで描かれることがないですからね。西郷とW主演で作られた「翔ぶが如く」(演:鹿賀丈史)くらいなのでは。幕末薩摩では相当な重要人物なのですが。

 

 糸に縁談が持ち上がって、周囲に「糸どんは正助が好きなのでは?」と示唆され、もしかしたらそうなのかもと舞い上がりつつ、気持ちを抑えて、なんとか二人きりになる機会を作って糸と話す正助。話をしている最中、糸が足元を嬉しそうに見つめているのを目ざとく捉えます。糸は、吉之助が自分に作ってくれた草履を大事に愛おしそうに見ているのです。

 むろん、それだけで正助が超能力者のように真相に気づく、という訳ではなく、そこから吉之助の話を始めた糸の様子を見て「ああ糸さぁが好きな相手は吉之助だ」と理解する流れなのですが。このシーンの2人の表情は本当に見事でした。

 その後も西郷家に吉兵衛(風間杜夫)が吉二郎を伴って帰宅し御前相撲で「腹を壊した新八の代わりに吉之助が出て、勝ちおった」と告げたとき、正助と糸が顔を見合わせて嬉しそうな表情をするんですよねぇ。正助は彼女の気持ちを知ってしまった筈なのに、友が勝った喜びの表情を糸に向け、嬉しく誇らしい気持ちを分かち合う。そこには本物の愛情があるんだなぁと感じました。吉之助へも、糸へも。

 そういえば、現代劇だとこういう純愛っぽいというか、ちょっとむずむずするような可愛いシーンをこの年代の俳優さんたちが演じることって今まずないですよね。もう少し若手の人のするような場面。なので、これも時代物ドラマならではかもしれません。

 それにこんなにも吉之助に親愛の気持ちを抱いていたこの正助どんがゆくゆくは彼と袂を分かつんだぜ。それまでの間にいったい何が起こるのか。私は、本作は、その積み重ねを丁寧に描いていくような気がしています。

  

  た・だ・し。

 苦言もひとこと言わせて頂きます。今のところ、展開があまりにベタで既視感ありすぎ!な部分がちょっと多めです。長丁場の連ドラが、視聴者に先を読まれる展開を続けすぎるのは、アンチを作りやすいと思います。ここはまだまだ、この大河の不安材料です。

 

 ザ・相撲。相撲!相撲!相撲!

ご隠居様はお気に召さないようですが

 ところでこの御前相撲の案は、斉彬自身が出したものでした。本来ならそういう際には能の番組を組むのが定番とのことですが、相撲の方が良かろうと。実際に幕末の薩摩には相撲好きが多かったとのことですので、藩士の心を取り込むのに相撲というのは良い手かもしれません。隠居中の斉興も愛妾お由羅の方と薩摩にお住まいのようでして、斉彬はご機嫌伺いも兼ね弟の久光と一緒に相撲見物のお誘いに行きます。もちろん隠居が心底不本意な2人に完全拒否されてしまいますが…。藩主時代はいつでもしゃっきりと背筋を伸ばし、眼光炯々としていた斉興ですが、今は一人で背中を丸め崩し将棋をしており、この隠居が彼にもたらした打撃の大きさを暗示しておりました。

 ここ、藩主交代時に超本気でロシアンルーレットを迫ったくせに「一緒に相撲見物どうですか」っていうのも、ちょっと斉彬さんって凄い神経だ、とは思うんですけどね。斉興公も訪れた息子に「城から出たら、何もすっことがなか。退屈じゃ」などと、ふいっと漏らすあたり、ああやっぱり親子なんだなぁと思いました。

 互いの間を狂気が吹き抜ける瞬間はあれど、なぜか心の内を不用意に話す時もある。他人で仲の悪い間柄だとしたら考えられないようなやり取りが交わされることが、不仲な家族の場合は往々にしてあります。そういう描写が本作には挟まれていて、ここはなんだか短いながらすごく良い場面だったなと思います。

 斉興に「江戸者に何がわかる」と言われ斉彬は「薩摩で生まれ育った久光が頼りじゃ」と弟に下駄を預けて(実際に預けたのは5年物の黒酢の壺でしたが)、早々に老夫婦のもとを立ち去ります。久光は兄と両親の仲を取り持とうと試みますが、むろん空回り。

 久光、こういうことされたらもっと兄に怒っていいと思うよ。お互い根本的なところで解り合おうとする気がないし、そんなところで間に立たせようなんて無責任過ぎる。こういうストレスが兄の死後、爆発するのでしょうかね。それはそれで見てみたい気が。

 

お姫様方も相撲見物がお好き

 御前相撲の当日には、島津ご一門の姫君方も桟敷席に見に来ます。ことに美貌の於一はこうした勝負事が大好きなようで、隣の姫と勝負にお菓子を賭けながら見物を満喫。もっとも隣に座った姫の於哲も賭けのお誘いにすぐ乗るあたり、基本的にノリが良くて血が熱いのが薩摩おごじょのようですね。

 於一は特に吉之助の相撲が気に入り、彼の出番は彼に賭けると決めたようです。また、斉彬はそんな於一のことも気に入った様子。

 斉彬はこの相撲の取組に出る藩士の御役・人柄・家のことなどを近臣に読み上げさせていました。郷中代表になるようなめぼしい藩士達の顔や名前を覚えておきたいと思ったのでしょう。これはと思う人物を引き立てようと思ったのかもしれません。

 それと同時に、このドラマでは分家の姫君方の人柄をも見極めようとした、という演出でしょうか。西郷の一生を描くにあたり、斉彬の養女として大奥に輿入れした篤姫の存在は大きく、必須ですが、1年という尺を考えると今の段階で登場させるのは賢い手だと思います。この相撲回はそういった意味でエンターテインメントとしてインパクトも強く、かなり成功してるのではないかと私は思いました。

 

取組はものすごく見応えあり。堪能しました

 相撲の取組は、主人公の吉之助を中心に対大山格之助、対海老原重勝、そして最後に対藩主斉彬と、じっくり画面に映されました。

 鈴木亮平さんと大山役の北村さん、海老原役の蕨野さんは早稲田大学の相撲部で夏、稽古を積んだそうです。そして斉彬役の渡辺謙さんは子どもの頃よく相撲を取ってらしたのだということ(公式サイトと鈴木さんのブログより)。ふだんTVで観る大相撲とは違って素人相撲ですし、どの取組も年齢差だったり体格差だったりがあったわけなんですが、どれも息を呑むような互角のすごい勝負に見えました。以前、ほぼ日のサイトで脚本家の森下佳子さんが「役者さんはフィジカルエリート」とおっしゃっていましたけれども、この相撲勝負を見て本当にそれを痛感しましたね。

 あと、もうひとつ「うわぁ」と思ったことがありまして。海老原が吉之助と勝負する前の取組で、左足首を痛めてしまうんです。そうすると、2人の取組の時に観衆がいっせいに「左だ、左だ」って叫ぶんですね。この演出は驚いた。吉之助に向かって、弱点がある方のその弱点を指して、そこを狙えと。観衆がですよ。ものすごくびっくりしました。薩摩兵児、ホントに怖い…。

 今後このドラマでは、幕末の動乱だとかそれこそ戊辰戦争西南戦争ですとか、戦闘シーンがあると思われますので。このまま薩摩藩士をこの調子で描写していくとしますと、後がガッツリ怖いことになるのではないかと。夏あたり、それから11~12月あたり、絶対怖そうです。今のうちだけかもよ、スイーツだ青春だ恋愛描写だ、って言っていられるのも。

 そしてやはり白眉は「成長した吉之助が初めて斉彬と対峙した」緊張感と言葉にできない憧憬の思いと覚悟、それらをセリフ以外で表現しきっていた鈴木亮平さんの演技です。またその吉之助の思いをがっつり体で受け止めていた斉彬公の渡辺謙さんも、ただただ見事でした。運命の主従、再会する。ですね。(斉彬が、あの時の少年こそ西郷吉之助だと悟ったかはまだ判りませんが。)

 

次回は謎の男がキーパーソン

 さて、総括しますと第5回は相撲に浮かれるエンタメ回と見せかけて、今まで積み上げてきたパワーの集約もあり、また今後への仕込みが盛り沢山に詰まった伏線回でもあったんじゃないかな、と思ってます。薩摩の武芸への熱気も改めて示していました。歴史描写の解りづらさも前回までの藩主交代劇で終了と思いたい。これからは色々な事がサクサク動いてくれると良いですね。予告を見る限り、糸さぁも次回は海老原様にお嫁入りしそうですし、少し不評な感じがしないでもないラブ・コメパートも、これからしばらくは、出てこないかも。

 

 ちなみに海老原様、なかなかイケメンでしたし、お家柄も良く、性格も…断言は出来ませんが、見た感じは、負けず嫌いだけど意外とサッパリした人のよう。赤山先生のところで糸さぁを見初めたということなので、斉彬様派で、赤山先生ともご縁がある方のようですし。まあ良いお婿さんになるんじゃないかなと思います。

 

 そして、牢に入れられてしまった吉之助の方は、謎の男と出会う訳ですね。今回の相撲も創作ですし、この謎の男との出会いも創作ですが、これは面白そう。というのはこの謎の男がこの年に薩摩にいたのは史実だからです。西郷どんでは、この男の存在がどういう役割を果たすのか。予告ではloveとかいう言葉が出てきましたが、さて…?

「西郷どん」第4回までの時代背景について

歴史的背景が主人公目線の作品「西郷どん」

あらためて「西郷どん」とは 

 2018年の大河「西郷どん」は、江戸幕府時代の末期に薩摩国(今の鹿児島県)に生を受け、明治維新の立役者となった西郷隆盛(鈴木亮平さん演)の人生を1年に渡って描くドラマです。

 

幕末の歴史はややこしいので省略されるとツラい

 このブログ記事を書いている現在は4回目までが放映され、少年期から20代の初めまでの出来事がドラマ化されたところ。この第4回目までに紆余曲折を経て、薩摩藩主が第10代島津斉興から第11代島津斉彬に変わりました。この島津斉彬こそ、西郷隆盛の人生を大きく変えた藩主であり、言わば運命の主君にあたります。

 ところで、幕末の日本史は色々な事が怒濤のように起きてややこしく、「西郷どん」も歴史の部分でイマイチ解りづらいところがあるように感じませんか。というのはこの「西郷どん」、本来はもっと色々な出来事があった部分を、だいぶはしょって描いてます。かなり早いテンポで薩摩藩主交代劇を通過してしまったんですね。

 なので、なまじ先に少し知識があると混乱してしまい、解りづらい状態なのでは?と思うのです。かくいう私も、twitterで詳しい幕末クラスタさんや歴史の先生の解説を読み読み、物語を追っています。

 

視点が「主人公視点」なので解りづらい面も

 また、もともと駆け足気味で歴史描写をしている他、今回、物語の視点が主人公目線で描かれていることも、この「解りづらさ」に拍車をかけているような気がします。

 というのは、西郷という人は薩摩藩の下級城下士の生まれ。現在までの立場だと、目にできるもの・耳にすること・知ることができる物事に、かなり制限があります。世界情勢や、日本全体の情勢、当時の幕府の内情など、知らないことだらけ。隣の藩のことも知っているか怪しい位。今のようにテレビやネットなどありませんから、そんなハンディがある訳です。

 特にこの4回までは、西郷小吉(少年時代の名)~吉之助(青年時代の名)の成長を描くと共に、薩摩藩主交代という問題が並行して描かれていました。この部分は島津家のプライベートな家族の会話や、江戸の薩摩藩邸または江戸城内などで進行しているため、劇中でも「吉之助の認識」と「状況そのもの」に少し誤差があるようです。

 

 という訳で、今回はその誤差の部分について、書いておきたいと思います。

 

第1回~第4回までに出てきた歴史説明

以下、箇条書きになりますが、なるべくわかりやすく説明をば。

ドラマの流れに沿って書き出すとこんな感じ

<第1回>

・斉彬の行動:国産大砲の試作品実験をしている

=諸外国、特に西欧・米国の東アジア植民地化を強く警戒している。

・斉彬の言動1:上記を裏付けるもの。エゲレス(英国)に清国が乗っ取られるのではと危惧している。

・斉彬の言動2:武士が刀を2本も差してそっくり返るのは時代遅れだと思っている(おそらく、西洋諸国の主流武器が砲系だと熟知しているため)。また、古くさい武士が威張っている日本の状況も時代遅れだと思っている(おそらく諸外国で商人や産業人が多くの権益を持っていることを知っているため)。

※歴史本体とはあまり関係ないけど斉彬が小吉(西郷どん少年時代)にかけた言葉※

「弱い者の声を聞き、弱い者を助ける強い侍になれ(意訳まとめ)」

「子どもは国の宝」

・斉興の言動:清国とエゲレスなら清国が勝つと思っている。斉彬の行動(大砲作りなど)は、大金がかかる・浪費だと強く警戒している。嫡子のその姿が自身の祖父と重なり、嫌悪感を抱いている(西洋かぶれの祖父が藩主時代に大借金をこしらえたため)。

・お由羅の方の言動:藩主斉興と生さぬ仲の世子:斉彬の不仲を見て、自身の子:久光が斉彬に代わり、次代藩主になればと思っている。

・久光の言動:父母は好きだが、異母兄を敬愛している(特に政治情勢に関する視点については描写されていない)。

・島津家の描写:茶会にはふんだんに茶菓が用意される様子が描写される。斉彬はかすてらをおやつ(弁当?)がわりに持ち歩く描写も。←特に家風として質素倹約に努めている様子はない。

・主人公小吉(後の吉之助)の描写:いつもお腹を空かせている。西郷家は貧乏城下士である。

 

<第2回>

・ナレーション:薩摩藩は年貢の取り立てが厳しいため百姓の多くは貧乏で、税収の仕事に携わる役人の収賄も多いのが現状

・斉彬の言動1:お金はかかるが外国の脅威に備えた軍事演習をしたい

・斉彬の言動2:家老の調所は財政立て直しついでに、私財も蓄えたそうではないか(不信の念)

・斉彬の行動:沿岸警備等に関し幕府の命に従っていない旨など詳細に記した報告書を作成、父斉興に見せて怒りを買う

・斉彬の言動3:幕府に薩摩藩の裏事情をはっきり告げて父斉興を引退させると決意(赤山靱負に向かって漏らす)

・斉興の言動1:新式軍事演習に出す金はない。家老の調所広郷はたまった借金返済に尽力した功労者である。

・斉興の言動2:世子の斉彬は幕府よりの姿勢で信用ならないため、その異母弟である久光を藩主名代とする。

・お由羅の方の言動:斉彬は怖い。こんな人が藩主になったら薩摩はどうなってしまうのか。

調所広郷の言動1:斉彬のしたい新式軍事演習に出す金はない。そんなことをしたらまた藩の台所が火の車になる。

調所広郷の言動2:現場で多少賄賂が横行しようが、ともかくも藩の収入として一定の年貢を確保することが大事。それをすることが藩士(自身のことでもある)の忠義。

大山格之助有村俊斎ら赤山門下生の言動:世子斉彬様が藩主になったらいいと思うけど、現藩主斉興様は愛妾お由羅の方の言いなりで、その子久光様に藩主を譲りたいと思っているらしい(噂レベル)

大久保正助の言動:藩の財政はややこしくまた危なっかしく、何か少し変えようとするとたちまち崩れてしまうような状態にある。

・西郷吉之助の言動1:百姓が苦しむ今の世の中はおかしい。役人が賄賂を取るのも許せない。税制を定免法から検見法に変えれば良いのではないか。

・西郷吉之助の行動:検見法を実施しようとしたら百姓らが隠し田を作ってるのを発見してしまった。検見法に変えても百姓は救えないと悩む。

・西郷吉之助の言動2:斉彬様にこの窮状を伝えたら、なんとかしてくださるに違いない(刷り込みに近い盲信レベル)。

 

<第3回>

・ナレーション:薩摩は武士の割合が高い反面、下級武士には百姓同様貧しい生活をしている者も多い。

・斉彬の言動1:江戸幕府老中:阿部正弘薩摩藩密貿易の詳細、琉球出兵の不正について全て報告。これで藩主(=父斉興)を良き様に、と依頼。

・斉彬の言動2:斉彬の行動に気づいた調所広郷に「許せ。薩摩もこの日本国も、前に進まねばならんのだ」と釈明。

・斉彬の言動3:秘かに自害を決心する調所に対し、斉彬を世継ぎから追い落としを謀る派閥の首謀者が調所だと聞き疎遠になっていたが、このままで終わりたくないと漏らす。

・斉彬の言動4:調所自害を聞き「死なせとうはなかった」と悔恨の念を述べる。

・斉興の言動:調所の死を知り激怒、斉彬との代替わりを望む一派を不忠者と断じ、根こそぎ処罰するのだと言い放つ。

お由羅の方の言動:斉彬は久光が藩主名代になったのを根に持っているのだと言う。そして斉彬殿の子を自分が呪い殺しているという者までいる、と、噂に言及する。

調所広郷の言動:薩摩藩の隠し事を追求する老中阿部に「全てはこの自分が仕組んだこと。藩主は何も知らない」と主張する。

調所広郷の行動:ひとり罪をかぶって服毒自殺。

・赤山靱負の言動:近いうちに斉彬が藩主になる、薩摩が変わると西郷吉之助・大久保正助に希望を漏らす。

・赤山門下生の言動:お由羅の方の暗殺を企んだ者がいるとして殿が激怒、鉄槌を下されたそうだと噂をする(斉彬擁護派計50人が処罰されたことを聞いて)。

・西郷吉之助の行動:物語冒頭で、江戸にいる斉彬に藩の窮状を書面にし切々と訴えたものをせっせと書き送っているところを描写(史実、この時期には斉彬に対し書状を出してはいないので、半分創作)。

・西郷吉之助の言動1:(赤山靱負に向かい)百姓が窮乏に喘ぐのも藩の大きな問題だが、貧乏武士は半農半士状態であり、何かの都合でその畑を取り上げられたらもう生きていけない、これも大問題だと訴える。

 

<第4回>

・ナレーション:薩摩藩嫡子:斉彬の藩主就任を望む一派に対し、現藩主斉興は厳しい粛清を行う。その陰にお国御前:お由羅の方の策謀があったと噂されたことから、一連の動きが「お由羅騒動」と呼ばれたと告げる。

・赤山靱負の言動・行動:切腹の沙汰が下り、粛々とそれに従う。門下生にはこれからも互いに切磋琢磨せよと遺言。

西郷吉之助の言動・行動:江戸在住の斉彬に対し「この窮状を救って下さるのはあなた様以外にありません。」と藩主就任を願う書状を綿々と書き綴る(創作部分)。

・老中阿部正弘の言動・行動:斉興が江戸表に参上したとき、正面から引退勧告を行う。

・斉彬の言動1:藩の江戸屋敷にて改めて、父斉興に「密貿易や琉球出兵の不正について、全ては幕府の知るところとなった。父上の隠居と引き替えに薩摩藩の安泰が約束されているので、潔く退いて欲しい」と駄目押しを。

・斉彬の行動:斉興が引退勧告を受け入れないのを見極めるや「ロシアンルーレットで生き残った方が藩主」という強硬手段を突きつける。

・斉彬の言動2:藩主の座をもぎ取った斉彬は、その年の5月にお国(薩摩)入りし領民に向かって「子どもは国の宝」「新藩主はこんな顔じゃ。宜しく頼む」と告げる。

・斉興の言動:ロシアンルーレットで負けを認めるまで、斉彬に「お前が好かんので引退しない」と言い張る。

・お由羅の方の言動:「久光はどうなるのです、私は(斉興の引退なんて)嫌」と主張する。

・久光の言動:大久保正助らから赤山靱負の助命を「聡明なあなた様なら」と頼まれるも、「おいに何ができる。おいに言うな」と拒絶。表立ってはこの問題に関わらないと宣言する。

 

全体像を改めて書き出してみると

 これまでの歴史(藩政)に関わる部分を回毎にまとめたのが、上記です。今度はそこから更に要点を抜き出してまとめると、以下のようになります。

政治関連の要点はこんな感じ

(1) 島津斉興調所広郷主従は「薩摩藩ファースト」主義。薩摩藩の財政が上手く回ってくれればそれでよい。日本の国防にはあまり関心がないという描写。

(2) 斉興・調所は、世子斉彬が対外情勢を見据え軍事強化に関心を持つことを、ただの西洋かぶれ・浪費家であると捉え、警戒していた。

(3) 島津斉彬は海外情勢を熟知し、日本の国防問題に危機感を抱き、父の態度に不安を感じていた。そのため江戸幕府老中阿部正弘と組んで、藩主交代を仕掛ける。

(4) 赤山靱負は作中で薩摩藩の政治に関して何も言及していないため、その思想は劇中人物にも視聴者にも不明。ただ斉彬を尊敬し、彼が藩主になれば「薩摩が変わる」と信じていたことが示されている。

(5) お由羅と久光に特に政治的信念がある描写はない。ただ、お由羅は久光を藩主にしたいと思っている。久光は世子問題には基本的に関わりたくないが、母の悪評は気にかけており、母を守りたいと思っている。

(6) 最終的には斉興は「どうしても斉彬が好きになれない」という思いが強く、それが藩主交代を渋っていた一番の理由という描写である。

 

百姓や貧乏な侍の救済が行われるかは未知数

 上記に箇条書きした1~6を念頭に置きますと、

 吉之助が心に持つ「斉彬様が藩主になれば、薩摩の財政問題が解決する」という信念は、ほとんど妄想に近い個人的な思い込みである。

ということが解ります。

 なお、その根拠は、

 初回で少年時代「これからの侍は弱い者の声を聞け」と言われたことに由来。また強いて言えば赤山先生の「(斉彬様が藩主になれば)薩摩が変わっぞ」というふんわりとした希望の言葉を信じ込んだことが、それを補強している。

ということ。このような解が導き出せるかと思います。

 

 つまり、斉彬の出演パートで斉彬自身は一度も、農政や税制問題に関して言及していないのですよね。

 確かに第4回で吉之助の手紙により薩摩の窮乏を知ることができた、と父に語ってはいますが、その後のやり取りは、明らかに「民の暮らしを楽にする」ことに力点を置いていません。

 

 ですので、今のところ斉彬は、

(1) 日本の国防問題に関心がありその件で幕府と手を組むため藩主になりたかった。

(2) 薩摩藩財政に関しては詳しくなく、調所広郷収賄で私財を蓄えてるんじゃないか、くらいのふんわりした認識である。

という感じと思って良いのではないでしょうか。

 

 ですから、新藩主様のお陰でこの先庶民や下級武士の暮らしが良くなる筈だぞー、というのは吉之助やみんなの思い込みだと私は思ってます。ただ、その辺の描写が…。

 ナレーションもはっきりしないし、そういう第三者視点に立ち、物語の中で上手く説明セリフを語るような登場人物がいないため、視聴者まで解りやすく伝わってこないんですよねぇ。これ、今後の不安材料だと思うのですが、どうでしょうか。

 

つまりどういうことかと言いますと

主人公の心理状態と物語の進行状態にズレがある

 別の言葉を使って上記で述べたことを補足しますと、つまりこういうことです。

 今、第4回が終わった時点で、「西郷どん」における主人公の心理状態と、物語内の現実にズレがある状態なんですね。

 吉之助の脳内では=斉彬様が新藩主になられたから万事解決めでたしめでたし。ドラマ内の現実では=新藩主斉彬がどのくらい薩摩の民を幸福にできるかは未知数。←こんな感じです。

 で、このことをナレでも言わないし、ドラマ内に第三者視点を持ち込む人物もいないため、この差が視聴者に伝わりづらくなってる。しかも、ドラマのストーリー展開は吉之助目線をベースに進行している

 

 結果、観ている人の感想が吉之助の描写にひっぱられて斉彬が本当に薩摩の農民・下級武士の生活改善を果たす救世主として描かれているように感じてしまう。

 そのため、「それはちょっとご都合主義じゃない?」「斉彬様万能、っていうスタイルなの?それってどうなの?」=つまらない話だね、になってしまう危険性が高い。そう思います。

 実は少し前にtwitterで「西郷どんは主人公の描写が中途半端なのが惜しい」という意見の方と、少し話をさせて頂いたんですが。その会話を後から考えてみて、自分としては、主人公が中途半端に見えるっていうのは、物語自体がこのズレを抱えてるせいで感じることなのではないかなぁーと思うに至りました。

 

ただし大きな伏線の可能性もある

 とはいえ、もし第5回以降展開される直近の話で、この「薩摩の民の幸福」問題がおざなりにされて先へ先へと進んでいってしまったとしても…ですね。これが実は後から「伏線だった!」になる可能性が、ないでもない。私はそう考えています。

 というのは、この後史実では西郷吉之助は斉彬のために働き、その死後は島流し等失意の年月を経てまた薩摩藩の中心に復帰し、激動の時代に明治新政府の樹立に尽力し、そして最晩年はまた薩摩に帰ってくるからです。

 その時に、斉彬を超え日本のヒーローとなった後の西郷隆盛自身が「農民と共に生きる」を実地でやるかもしれない。そして、昔のこと=若き日に憧れの殿さまに夢を賭けたこと=を、思い出すかもしれない。そんな展開もあるかもしれません。

 さて、どうなるか。不安半分、楽しみ半分、見続けていきたいと思います。

 

 

西郷どん 第4回「新しき藩主」 感想

島津斉彬薩摩藩第11代藩主になるまで

第4回:2018年1月28日(日) 「新しき藩主」。

 

あらすじ

 父吉兵衛(風間杜夫)から、赤山靱負(沢村一樹)に切腹の沙汰が下ったことを聞かされた西郷吉之助(鈴木亮平)。

 その出来事の理不尽さに怒り、登城して赤山助命を嘆願しようとものすごい勢いで駆け出しますが、有村俊斎(高橋光臣)ら、同じ赤山門下生の仲間達に止められます。一同は、大久保正助(瑛太)の発案で、藩主斉興(鹿賀丈史)の五男で愛妾お由羅の方(小柳ルミ子)の息:久光(青木崇高)に赤山赦免を直訴することに。しかし久光は「おいに何ができる」と彼らの願いを一顧だにせず拒絶するのでした。

 そんな久光に母お由羅は「お由羅の方が斉彬やその子を呪詛している」と面白おかしく描写された江戸の瓦版を見せます。斉興と斉彬父子の不仲は、薩摩だけでなく江戸でも不穏な噂となっているようです。

 直訴のせいで、久光の供回りに打ちのめされた吉之助が妹:琴(桜庭ななみ)に手当てされている処に、先週助けた中村半次郎(中村瑠輝人)が唐芋を携え、西郷家にお礼を述べにやってきます。そこに赤山の弟:島津歳貞(後の桂久武井戸田潤さん演)も訪れ、吉兵衛には赤山の介錯を、吉之助には今から門弟らと共に赤山邸に来てくれと依頼しました。別れの盃を交わすためです。

 吉之助は父に頼み込み、切腹の場に同席します。靱負の切腹は見事なものでしたが、吉之助は悲しみとショックのあまり「あん妾を切る!」と言いだし、またも駆け出そうとするのでした。追いすがった吉兵衛が「赤山様のお志を無駄にすんな」と必死に止めます。吉之助は腸の底から慟哭を絞り出し、号泣します。

 斉彬派の粛清はその後も続き、西郷家の隣家=大久保家の次右衛門(平田満)も連座したとされ、喜界島へ遠島の沙汰が下りました。息子である正助も記録所書役を罷免され、謹慎処分を申し渡されます。吉兵衛と次右衛門も、子の吉之助・正助同様子どもの頃からの友人であったため、2人は相撲勝負で別れを惜しむのでした。

 前回から江戸の斉彬宛に数々の意見書を送り続けていた吉之助は、どうか一日も早い藩主襲封をと、重ねて斉彬に嘆願書を書き綴ります。

 嘉永4年(1851年)正月、薩摩藩主斉興は江戸で12代将軍家慶に年賀の挨拶のため登城。その場で、老中阿部正弘(藤木直人)より引退勧告を受けます。しかし、斉興は肯おうとしません。

 藩邸に戻った斉興の前に斉彬が現れ、「薩摩藩江戸幕府に隠れて行っていた(琉球・清国等との)密貿易を目こぼしするかわり斉興の隠居をと要求されている。呑まなければお家が取りつぶしになる。」と告げ、強引に藩主交代を迫りました。それでも尚、斉興は「お前に藩主の座を譲っくらいなら、わしは島津家もろとも消えっで。そいほどわしは、お前が好かーん!」と更に拒絶。そこで、斉彬は非常手段に出ます。

 メリケン(米国)から密貿易した6連発コルト拳銃に一発だけ弾を込め、ロシアンルーレットで生き残った方が勝ち、という方法で、どちらが正しいか天の声を聴こうというのです。斉彬が先に引き金を引きましたが、弾は不発でした。斉興は引き金を引くことができず、ここに勝敗は決します。島津斉興はとうとう、隠居を承諾しました。

 藩主交代の報はやがて国元薩摩へももたらされ、吉之助以下元赤山門下生たちは大歓喜。「赤山先生が仰っていたように、薩摩は良か国に変わっていきもんそ」と期待をかけます。同年5月8日、斉彬はとうとう新藩主としての薩摩お国入りを果たしました。人々は大歓声を上げて新しい藩主を喜び迎え、新しい時代の幕開けを言祝ぎます。

 

赤山靱負、無念の切腹。薩摩兵児は多くを語らず

静かに散る赤山先生、そして足掻きに足掻く吉之助

 第4回前半のハイライトは沢村一樹さん演じる、薩摩藩重臣赤山靱負の切腹です。

 師と仰ぐこの人に切腹の沙汰が下った時、吉之助はこの運命を承服出来ず、登城して不服を申し立てようとしたり、久光に直談判を試みたり、大いに足掻きます。刑の前日に赤山邸に呼ばれた時も、靱負本人に食い下がろうとして正助にたしなめられています。切腹を見届けた後は、自分が幼い頃の負傷のため刀を存分に振るえないことも忘れて、お由羅を切りに行こうとするほど自分を見失いました。

 この描写や演出ですが、正助や父吉兵衛のリアクションにより「カッとなると我を忘れて強引に行動しようとする」吉之助の現在の性格は、必ずしも肯定的に描かれていないことが判ります。見ていてついイラッとしてしまう、という方もいると思いますが、それで正解、という作りです。でも、今の吉之助はとにかく政治的に無力なんですね。それが、これからどう変わっていくのか。そこは今後の見どころのひとつだと思います。

 

 ところで、対する赤山先生ですが、こちらは最後の最後まで、見苦しいところを全く周囲に見せません。誰かを呪うでもなく、不満や愚痴をこぼすこともない。ただ、門下生に「これからも切磋琢磨して人間をみがけ」と言い残すだけです。切腹の作法も完璧。静かでしたが、インパクトのある沢村一樹さんの演技でしたね。足掻き抜く吉之助と対照的でもあり、観ているこちらにも確実に何かを残してくれました。

 思えばこの赤山という人、初回からドラマ内ではあまり多くを語っていません。もっぱら聞き役に徹する人でした。でも、こういう人って本当は貴重で、多くの人から頼られるタイプなんですよねぇ。失うのが惜しい。

 その代わりというべきなのか、本日から登場したのがその弟にあたる島津歳貞=後の桂久武。彼は今後、西郷隆盛のよき友人となっていき、西南戦争にも西郷側として参加します。これからストーリーにどう絡んでいくのか、楽しみです。

 

不器用な次右衛門さぁも、多くを語らず喜界島へ

 西郷家の良き隣人、大久保次右衛門さぁもこのお由羅騒動に巻き込まれ、喜界島に流されることになってしまいました。「西郷どん!」原作ではこの次右衛門流罪に対して、吉之助が怒りを見せたという筋書きになってます(赤山靱負はあまり登場しません)。ドラマでは、不器用で口べたな次右衛門が家族とろくに言葉も交わせず、役人に引き立てられて行くところを、これまたちょっと不器用な吉兵衛さんが強引に引き留め、相撲を取って別れを惜しむという場面が入りました。

 ここは、相撲を取る父であり夫の次右衛門を、目に涙をいっぱい溜め、言葉もなく見つめ続ける大久保家の家族たちが印象的でした。いつもワイワイガヤガヤしている西郷家とは対称的で、だからきっと両家の仲が良いんだろうなぁと思ったり。切なくて温かい場面でしたよ。

 

肝練り?びっくりロシアンルーレット!!

斉興、将軍家から茶入れを贈られる(公式引退勧告)

 ここで、ちょっと時間の経過を軽くおさらい的にメモ。

 第3回で調所広郷が亡くなりましたが、あれが嘉永元年12月(旧暦)のことでした。大久保次右衛門の流罪、赤山靱負の切腹は、嘉永2年(1849年)及び嘉永3年(1850年)の出来事です(史実は順番が逆で赤山の切腹が後)。ちなみに第2回は弘化3年(1846年)でしたので、鈴木亮平さん演じる吉之助が登場してから、第4回の前半部までで約4年経ってます。

そして、明けて嘉永4年正月。島津斉興は、年始の将軍謁見の後、老中の阿部正弘経由で朱衣肩衝(あけのころもかたつき)という名物茶入れを下賜されました。「これからは藩政から下りて、ゆっくり茶道でも究めて」という引退勧告だそうです。引導を渡された感じでしょうか。幕府としては、世継ぎの斉彬から密貿易の事実などを報告されていますので、もうこのまま斉興に藩主を任せてはおけないよ、という意思表示ですよね。

 で、この茶入れを贈られ引退を迫られたのは史実だそうです。

 しかし、このドラマの斉興はまだ粘ります。

 

父子の確執ここに極まり、天の声を聴くと言い出す斉彬

 老中の阿部氏と結んでいる斉彬は、江戸の藩邸にいる父の前に参上し、改めて当主交代を迫りました。もう密貿易の詳細や琉球派兵を幕府の指示通り行っていないことは全部筒抜けなので、言い逃れがきかない。父上の引退と引きかえに島津家の存続を許して貰えるそうなので、ここはどうかご隠居下さい、と涙ながらに訴えてみます。

 ところが、前述したように斉興は「お前に藩主を譲るくらいなら島津家を潰した方がまし!」と言い切るんですよ。もうどんだけ息子を嫌いなの!そこで、斉彬はチーンと鼻をかみ(これは渡辺謙さんのアドリブだそう)、鼻をかんだ懐紙(?にしてはやけに大きい)をむんずと投げ捨て、(密貿易で手に入れた!)拳銃を取り出し、ロシアンルーレット対決を父に挑むのでした。

 「天の声を聴きましょう。」

 

 え!!!えええええええーーー!!!!!

 すごい思いがけない、あまりにも斜め上過ぎる展開。twitterのタグTLも湧きに湧きました。薩摩には昔から「肝練り」という、火縄銃を使った薩摩式ロシアンルーレットがあるとかないとか、そんな話題まで登場しまして。また斉彬が先に試して無事済み、父に拳銃を渡すと、抜刀して成り行きを見守っていた藩士達が、一斉に納刀して蹲踞するという。「見届けさせて頂きます」っていうことでしょうか…。さすが、薩摩隼人の発想は並とは違うんだな…。

 と、本当は歴史好きとしてここは納得するところじゃなかった…のかもしれないけど、絵面の強烈さと演じる俳優さん達による迫真の演技とで、理屈じゃない部分ですっかり納得。あーもうこれは仕方がない。

 かくして薩摩藩の藩主は第10代島津斉興から、第11代島津斉彬へと交代いたしました。

 また、この父子対決部分のセリフと演技がいちいち、リアル仲の悪い親子そのものなんですよ…。あー、あるあるこういうの。っていう。

 もちろん、こんな剣呑な対決は普通の人はしないですけど。でも、話せば話すほどお互い意固地になっていき、売り言葉に買い言葉で、しかも親子だから変に遠慮が無くて、もう雪だるま式に大きくこじれて行っちゃうところとかは、ホントあるある。実にリアルな身内の修羅場描写でした。

 やっぱりこういう所はさすがヒットメーカー:中園ミホさん。お見事です。すごい力技だとは思いますけど、気持ちの動きがきちんと描かれているので、役者さんの技倆次第でなんとかなっちゃう。うん、これをやれるのも(脚本家の)才能のうちだと思いますよ。

 

まとめ ー さあ次から新しいターンだ

次回から主人公は空回りをせず、前進するのか?

 という訳で、前半は何かと言えば頭に血が上り、喚き走る吉之助の無策にちょっぴりイライラし、後半は島津斉彬の…天才ぶりというよりは奇人ぶりに度肝を抜かれて、終わりよければ全て良しかな?という風味の第4回でした。

 大人編になってから、第2回よりは中身が濃く、第3回よりは内容の詰め込みが薄くて、で、子役編の初回と同様に斉彬が全部持って行ったというところでしょうか。

 次からは新しいターンということで、年月もそれなりに経ちました(ちなみにお茶坊主として前半は坊主頭だった有村俊斎が、最後の方のシーンでは有髪になって青天の髷を結ってましたね)。

 主君が斉彬となったことで心機一転、吉之助の行動も空回りではなく実の伴ったものになっていくでしょうか。少し期待したいところです。

 

(初回からずっと)細かい部分の処理が気になるも…

 ということで、物語はまあ概ね良い方向に進んでるんじゃないかなとりあえず、と言ったところですが、細かい設定がところどころ、魚の小骨が喉に引っかかったみたいに気になるなあ、と思わないでもないです。

 例えば西郷家の三男信吾役の子役さんが、第3回(お腹を壊して寝込んだ)では小柄で細身の子だったのが、第4回では大柄なたくましい子になっている、とか(成人後は錦戸亮さんが演じる従道)。3回目から4回目までに特に西郷家が裕福になった描写もありませんので、ちょっと違和感があります。

 第1回では多少の思慮深さもある描写だった西郷どんが、大人になってからはすっかり単細胞的な思考回路になっている、とかもそう。小吉時代は「喧嘩になるのは腹が空いているから。鰻とり競争をしよう」と言ったり、腕が利かなくなる=出世の道が断たれたと即座に悟ったりと冴えも見せていたのですが。

 あとは女性の扱いも…。

 糸さん(黒木華)が赤山門下生に対してやたら態度が大きいのは何なのでしょうね?ドラマ後半、斉彬藩主就任を喜んで赤山靱負の墓参に来た門下生らを、糸が「みんな遅か!」と叱りつけるところなど。なんでまた?と謎です。

 まるでスポーツ部の敏腕マネージャーみたいに振る舞ってますが、物語的には部活じゃないし、彼女があんなに大きな顔ができるような実績って別にないんだよな…。←この設定もなんだか、昭和(1970年代後半~1980年代前半くらい)の青春ものに出てくるヒロインキャラみたいです。マンガだけど「タッチ」とかさ。なぜまた昭和…。

 そしてなんとなく花燃ゆ(2015)風味でもあるし。花燃ゆ、不評だったんですけどねぇ。この設定だと黒木華さんがもったいない(個人の感想です、あしからず)。あとわりと吉之助の妹:琴も似たような気の強いキャラなので、キャラかぶりしてる気が。こういうところも、もったいないと思うのです。

 とはいえ、糸は第1回から一貫してこんな性格だと描写されてますので、ブレていないところは評価したいと思います。あくまで私がこのヒロイン像を好みじゃないというだけです。

 

歴史の流れがイマイチ解りにくいのが最大の難点

  今のところ、西郷どんは上記の様に細部の詰めがやや粗く(視聴者が見抜けてしまう程度に粗い)、更に背景になる歴史の流れがイマイチ掴みにくいドラマ仕立てなのが難点かなと思ってます。←で、歴史を扱う大河ドラマなので、歴史が解りにくいのが一番まずいかと。

 お由羅騒動というか、斉興vs斉彬については、一応ちゃんと説明が入ってるんですよね。見てる方がそれを繋げて考えることができれば、「ああこういうことなんだ」と納得出来る説明なんです。でも現状、そこが繋げにくい。惜しいなぁ。

 この先も、主人公吉之助の人生には、様々なややこしい歴史的出来事が控えてます。なので、この「歴史が解りにくい描写」という難点のせいで、視聴者が振り落とされませんように。

 でないと、人物の心理描写や繋がりの描き方はじゅうぶん面白いので、勿体ないです。

 (私が観て「歴史の流れはこうなってるのね」と理解した点は別途記事でまとめようかと思ってます。)

 

西郷どん 第3回「子どもは国の宝」 感想

中村半次郎登場、そしてお由羅騒動。

第3回:2018年1月21日(日)「子どもは国の宝」。

 

あらすじ

 前回の出来事(農民の娘ふきが借金のかたに売られる)により、薩摩における農民の窮乏を憂えた吉之助(鈴木亮平さん演)は、江戸にいる薩摩藩世子:島津斉彬(渡辺謙さん演)に意見書を何通も書き続けた、とアヴァンでナレーションが語ります。

 (注:西郷隆盛が江戸の斉彬に意見書を何通も書いたのは史実だそうですが、それは実際には斉彬の藩主時代だったそうです。このドラマではそこが少し前倒しにアレンジされています。)

 ところで、薩摩で貧乏なのは農民だけでなく、武士も同じでした。ことに西郷家は11人の大所帯。父吉兵衛と吉之助2人の禄も高くなく、したがって足りず、いつも皆がお腹を空かしています。そこで今回は吉之助、下男の熊吉(塚地武雅さん演)と2人、猪狩りへ。

 ちなみに第1回では鰻穫りをし、第2回では鰻に逃げられて、だんま(薩摩弁で川海老のこと)を持ち帰っていました。家では弟の吉二郎(渡部豪志さん演)が畑をやっていますが、それでも食べものは慢性的に足りていない様子です。

 吉之助と熊吉は無事猪を仕留めて機嫌良く家へ帰ります。が、家では祖父龍右衛門(大村崑さん演)が嫌な咳をし、三弟信吾が腹痛で寝込んでいました。その両方を医者に診せるにはお金が足りず、母満佐(松坂慶子さん演)も困り果てている様子。吉之助と熊吉は猪を売りに行こうと思い立ちますが、父吉兵衛(風間杜夫さん演)は武士の面目が立たないと大反対。また父子喧嘩になったところを隣の大久保父子が止めに入ります。

 翌日、吉兵衛は得意のそろばんを用い経理を手伝う赤山家で、当主靱負(沢村一樹さん演)に「この上は借金をするとつい見得を切ってしまったが、借りる当てが…」と本音を漏らしました。赤山靱負様はどうやらこのドラマでは、側に集まる人々を心寛く受け入れ、相談を受ける立場のようです。

 赤山の口利きで、吉兵衛は吉之助を伴い、借金のため豪商板垣屋(岡本富士太さん演)を訪れます。その帰り道、2人は芋(唐芋=サツマイモ)泥棒をする武家の少年:中村半次郎(中村瑠輝人くん演)に出会いました。まだ稚児と呼ばれる年頃ながら、見事な太刀筋を見せる半次郎に吉之助は見惚れます。

 一方江戸では、老中阿部正弘(藤木直人さん演)と島津家世子斉彬が手を組み、なかなか隠居しない薩摩藩主斉興を失脚に追い込もうと画策していました。斉彬は薩摩藩が清国相手に密貿易をしていること・琉球出兵に関する幕府の命に忠実に従わずごまかしをしていることなどを書類にして阿部正弘に手渡していたのです。老中・阿部は薩摩の家老:調所笑左衛門広郷を江戸に呼び出して事情聴取に及びました。ところが調所は、密貿易等は全て自分の一存で行っており藩主斉興は預かり知らぬ事、と、しらを切り通し、服毒自殺してしまいます。斉彬の斉興隠居工作はここでいったん挫折しました。

 調所の死を知った斉興は怒り、斉彬支持派の藩士に対する大規模粛清に乗り出します(世に言う「お由羅騒動」ー別名「高崎崩れ」とも)。

 軽口を言っただけで遠島や切腹になってしまうと、人々は戦々恐々。吉之助や大久保正助大山格之助(北村有起哉さん演)など赤山門下の若い藩士達(後の精忠組)も、もっぱら隠れて密談に明け暮れる、そんな日々が来てしまいました。

 そんなある日、ついに赤山先生にも斉彬派の1人として切腹の沙汰が下されることに…。

 

前半は吉之助の暑苦しい(?)日々

下男・熊吉とは良いコンビ

 冒頭は先にも書いたとおり、吉之助が下男の熊吉と火縄銃を持って猪狩りをしているところから始まります。さすが「種子島(たねがしま、火縄銃のこと)」の本場、薩摩ですね。銃がカジュアルなんだなと思いました。5年前の大河「八重の桜」では、銃を扱う山本家の特殊な立場が描かれていましたので、違いが興味深いです。

 ドランクドラゴン塚地さんの熊吉と、鈴木亮平さんの吉之助のコンビは一見してとても仲が良さそう。猪をぶら下げ、歌いながら楽しげに帰宅するシーンは微笑ましく、南国的なおおらかさを感じました。ちょっと暑苦しい感じもしますけれども…(笑)。

 反対に、第2回でも親子喧嘩していた父:吉兵衛とは、見解の違いでまたもあわや掴み合いの喧嘩になりそうでした。お互いに血が熱くて頑固、といったところでしょうか。吉兵衛は、父には父としての尊厳や言い分があるのだ、貫くぞ、という雰囲気で、かたや吉之助は「親だろうと子だろうと、正しい方が正しいのだ」という熱血ぶりと意地っ張りぶり。うーん、なかなか可愛いところもあるんだけど、やっぱり少し面倒くさい人かも、吉之助どん。

 

 とはいえ、熱血で真摯な気性、体面より実を取る姿勢が豪商である板垣屋には気に入られたようです。彼に借金を申し入れる場面では、吉之助が武士の面目に拘らず土下座して願ったことで、必要な額を借り入れることができました。父の吉兵衛はなかなか面子を捨てられずお金を借りに来た人というより、取り立ての人のような態度だったため、板垣屋も最初は良い顔をしていなかったのですが…。

 この借金をしに行くというエピソードは、珍しく原作から取られています。今までの所、ストーリー展開がほぼ脚本のオリジナルなのですが、ここは珍しく原作準拠。

 

中村半次郎(後の桐野利秋)、早くも素晴らしい太刀筋を見せる

 ところで、第3回にして早くも、幕末の剣客として名高い中村半次郎が登場しました。芋泥棒として追われていましたが(当人は自分の畑の芋なので泥棒ではないと主張)、追っ手を棒切れで見事撃退、逃げ切ります。吉之助は父と共に板垣屋から100両を借りて帰る道すがら、偶然その出来事を目撃しました。

 この中村半次郎こと後の桐野利秋は、西郷隆盛と共に西南戦争を戦った部下なので、またひとつの「運命の出逢い」が描かれたという訳ですね。

 また、後に中村一家が困窮のためあわや脱藩、というところにも吉之助はでくわし「この半次郎ギラギラした目と剣の腕を埋もれさすとは惜しか」(=脱藩すなわち武士身分を捨てることとなる)、彼らを止めます。そして赤山靱負に頼み込んで、なんとか薩摩に留まれるよう手を回してもらうのでした。吉之助は(肝心な所は人頼みというところがちょっと弱いですが)、ここで半次郎の恩人となるのです。

 ところで、サブタイトルの「子どもは国の宝」は、未来の藩主(そして吉之助のヒーロー)島津斉彬の口癖から取られたものと思われますが、直接にはこの、剣の素質を大いに持った中村半次郎のことを指すもののようです。初回で描写されたとおり薩摩武士はまず武術第一だったので、こんなに剣ができる武士の子が武士を捨てるようではいかん、宝は宝として用いねば、という感じですね。

 吉之助にしてみれば、自分も一度は剣の上達を志していたが事故でやむを得ず断念した、という経緯がありますので(第1回)、それもあって、どうしても半次郎のことを助けたかったのでしょう。

 ーこの辺の関係性は史実とは異なる創作ですが、そのように描くことによって、第4クールにくるであろう悲劇の下準備を、丁寧に作り込んできているように思います。おそらくこうした、西郷周りの人間関係を丁寧に時間をかけて描いている、という部分が、本作のドラマとしての特徴ではないでしょうか。

 

忠実な熊吉どんのしっかりおばあちゃんが凄い

 ところで西郷家が板垣屋からお金を借りた理由ですが、史実では「石高(こくだか)を買い戻すため」だったそうです。が、ドラマ内では特にその説明はなし。お金が手元に入ってきた西郷家では、まずお米を買って近所にもふるまい、一家でもお腹いっぱい食べました。そして、下男の熊吉の実家にも2俵、吉之助と熊吉が持って行くことに。

 なんでも、熊吉の実家には昔西郷家に仕えていたおイシというおばあさんがいて、西郷家が食べものに困っている時には、いつも実家から食べものを都合してきてくれていたからということなんですね。せっかくだから恩返しをしたい、という訳です。

 (ここも原作準拠です。)

 このおイシを演じたのが佐々木すみ江さん。

 2008年大河「篤姫」で篤姫の侍女菊本を演じた方です。薩摩弁も老け役も堂に入っていて、実に上手い。人情家だけど、ただ甘々な優しいおばあさんではなく、なかなか弁が立って少し口の悪いところもある。足腰は少し弱ってるけれど、まだまだしっかり者でユーモアも茶目っ気もあるおばあちゃんです。そんな厚みのある人間性を、少ないセリフでよく表現しています。間の取り方や表情がすごく素敵なんですよね。

 「米2俵なあ、ぎっしりかぁ」

 一家の働き手はみんな小作に出ていて、留守番におイシがいるばかり、という熊吉の実家。もちろん裕福とはほど遠い貧乏農家です。お米2俵のプレゼントは夢のようだと、おイシばあも大喜び。

 ここの、吉之助・熊吉・おイシの芝居は本当に実感が籠もっていて、心温まるものでした。見どころポイントだったと思います。

 ここ、本作における西郷さん(さいごうさん)=西郷どん(せごどん)は、こういう世界を作りたい!と頑張ってきた人なんだ、ということを表現している大事な部分だと思うのです。

 前の第2回ではちょっと安直な設定(病弱な妻を抱えた貧乏小作農が借金のかたに目鼻立ちの良い娘を売らざるを得ないとか、その娘を連れて行こうとする貸し方の手先が、紋切り型の乱暴な女衒だとか)のために、そのテーマ出しが残念ながらちょっと安っぽく見えたんですけれども。

 この回では佐々木すみ江さんがバッチリ引き締めました。

 

 ただし、そんな吉之助の前には今もこの先も、立ち塞がる大きな山がいくつもあるのですよね。

 

不穏当で理不尽で不透明な「お由羅騒動」

 さて、この物語で描かれる最初の「大きな山」は、薩摩藩当主問題です。

 吉之助の敬愛する斉彬は、40歳を過ぎてもまだ世子(お世継ぎ)のままでした。これはその当時の慣習として極めて異例なことだったのですが、現藩主斉興は斉彬の性格を警戒し、隠居をしようとしません。

 なお、ドラマ内では専ら、「斉興が斉彬を嫌っているため」という描写になっていますが、これは実際には、もう少し複雑な事情があったそうです。吉之助は今のところ、無邪気なくらい「斉彬様が藩主になれば何もかも良くなる」と思い込んでいますが、果たしてそうなのか。その辺をどう描くのかが、気になるところではあります。

 

調所広郷と斉彬の場面は、後半最大の山場

 江戸幕府老中:阿部正弘は、早く斉彬に代替わりしてもらいたい立場にいます。

 というのは、(劇中ではなんの説明もないのですが) 彼は開明的な思想と広い視野を持っていた人物で、進取の気性に富んだ斉彬を大変高く買っていたということらしいのですね。欧米からの開国圧力に対抗するために斉彬の力を借りたいと思っていたようです。

 そこで、斉彬も阿部と手を組み、藩主交代を目論むのですが…。

 

 密貿易等に関する突っ込んだ事情聴取を、わざわざ江戸に呼び寄せた調所広郷相手に阿部正弘は舌鋒鋭く展開しますが、調所はあくまで自分一人の裁量でしたこと、と、老中の追求をかわし続けます。呼び出された時期は真冬。江戸の空には雪がちらついていました。

 ここで調所は、薩摩藩の内情が幕府に漏れたということは内通者がいる筈、その名を知らないままでは死んでも死にきれないので教えて下さい、と、老中に食い下がります。もちろん阿部正弘は答えないのですが、その時、調所の後の障子越しに、ふと人影が映るのです。そう、島津斉彬でした。斉彬はついで調所の前に自ら姿を現します。

 

 老中の前を辞した2人は廊下でしばし語り合います。斉彬は今夜一献、と、調所と腹を割って語り合いたい旨を伝えますが、調所は拒絶しました。

 「お世継ぎ様がお生まれになった日、我ら家臣一同、そいは喜んだもんでございもす。こいで薩摩は安泰じゃっち。」

 「そん時に飲んだ酒のうまさをふと思い出しもした。」

 そんな言葉を斉彬に残し、その夜、相変わらず雪のちらつく月明かりの下、調所広郷は服毒自殺。斉彬は調所の訪れを待ち続けていましたが、おとないは無く、調所自害の知らせが届きます。斉彬は一瞬瞑目し「死なせとうはなかった。」と側室喜久(戸田菜穂さん演)に吐露するのでした。

 

 斉彬と調所が廊下でしばし言葉を交わし合う場面。

 昭和の時代劇映画を見てるようだった…。生まれる前、1950~60年代くらいの?

 (10数年~20年以上も経った後に、平日の午後などにテレビで放映されてるのをほんの幼い頃に見たような感じのものです。)

 今はもう絶えて観ることのないような、昔の時代劇的な展開を目にしました。こういうお芝居をできる人って今もう少ないだろうな。竜さんがかろうじてリアタイで役者として知っていて、謙さんがおそらく子どもの頃かろうじてリアタイで観たことがある、ぐらいなんじゃないでしょうか。

 

 斉彬と調所、どちらもお互いの本音=本質的に求めているものを認めることはできない。ぶつけ合えば火花を散らして互いに傷つけ合い、決して相認め合うことはない。

 それでも内心を語り合いたい=開明的な性質の斉彬。そういう交わりを良しとしない調所。調所は冷たい刃とも、痛惜の思いとも、どちらとも取れる言葉だけを残して、斉彬の前を去ります。

 絶対的な拒絶の中にひと筋だけ混じる、ほのかな(家臣としての)敬愛の念。

 場面を見終わった後に、あれはどういう意味だったのだろうと、ずっとずっと考え続けてしまうような。余韻がいつまでも残る演技。

 ああいう、なんというんだろう、ある種の日本情緒?とでも名づけられそうな余韻の残し方を、ある年代の時代劇では、ひとしきりよく表現していたんですよね。今は絶えてしまったかと思っていたけれど、目にすることができて、びっくりしたというか…いや、やっぱり感激しましたね。

 イメージ的な言葉ばかり連ねたので、わからない方は本当に何を言ってるかわからないと思います。すみません、なんとか想像して下さいませ。

 だがしかし、平成も終わろうとしている今の時代に、あえて昭和風時代劇を復興させる意味は果たしてあるのだろうか。

  もし、これが、そういう描写を懐かしむであろう年代層(50代後半~60代以上)へのアピールであれば。大河ドラマを視聴する50代後半以上、という方はおそらく、「歴史にある程度興味がある」層な筈と思うのです。

 ということは、今の、「島津家お家騒動のポイントが、歴史問題としてはなんだか解りにくい。噂で騒いでるとか、島津家の家庭問題とか、そういうもの以上の何かがあるに決まっているじゃないか」ーと、考えそう。故にそのあたりを対象にしているとするなら、今のところ「なんだかピンとこないドラマ」というイメージが先行しているのでは…と、老婆心ながら考えてしまいます。

 大丈夫なんでしょうかね。

 

お由羅騒動は時間が無いので駆け足で、イメージで。

 調所自害が薩摩に伝わると、斉興は激怒。斉彬が裏で一枚噛んでいると察したのでしょう。斉彬派を厳しく処罰すると決意します。

 次回・第4回で新藩主誕生ということで、ここは「ふんわり感想あれこれ・前編」で予想した通り、めちゃくちゃ駆け足で「お由羅が悪いのだ」というイメージだけで赤山門下生がザワザワする、という描写のもと、最後に西郷吉兵衛が「赤山様に切腹のご沙汰が下った」と宣告する流れとなりました。

 

 この斉興vs斉彬、実はドラマ内でも小出し小出しに「今現在薩摩では何が問題か」がわりと色々提示されてるんですが、これが時系列でドラマ観てるだけだとめっちゃ判りにくいんです。

 なので、ちょっと提示の仕方で脚本の評価が損なわれてるなぁと思います。勿体ない。それについては、次回感想か、もしくは別にまとめて記事を書くかもしれません。

 

 ということで第3回の感想まとめ。

 前半パート=鈴木亮平さん・佐々木すみ江さん・塚地武雅さんの場面

 後半パート=渡辺謙さん・竜雷太さんの場面

 この2箇所で今では滅多に見られないような昭和風日本情緒のお芝居が堪能できた。これはこれでものすごくラッキー。

 あと、中村半次郎役の中村瑠輝人くんの殺陣がものすごく良かった。本人twitterによると、最初は抜刀もできなかったそうなので、その努力に惜しみない拍手を送りたいです。

 だけど(描いている)歴史がめっちゃ解りにくいので、できたら改善して欲しい。

 雰囲気はいいけど、もう少しナレーションとか説明セリフで⑴解りやすく⑵小まめに⑶破綻無く(これ最重要)、補足を入れていったら良いのではないかなと感じています。

 

 以上です。

おんな城主 直虎 第2回「崖っぷちの少女」 感想

やんちゃ姫の初恋は命がけの大騒動

第2回:2017年1月15日(日) 「崖っぷちの少女」。

 

あらすじ

 井伊谷領主井伊直盛のひとり娘:おとわ(後の直虎)は、第1回で叔従父(いとこおじ)である亀之丞のいいなづけとなった。しかし、その直後に亀之丞の父:井伊直満が井伊家の主家である今川氏に対し、謀反を企んでいたことが発覚。直満は今川氏の本拠:駿府に呼び出されて処断を受け、首となって井伊谷に戻る。またそれだけでなく亀之丞本人も、今川家から命を狙われる身となってしまうのだった。親の決めた縁ではあるもののお互いに淡い恋心を抱くようになった2人は、別れ際に、「必ず戻る」(亀之丞)「待っておる」(おとわ)と約束を交わしあう。

 亀之丞を無事逃がすため、おとわは彼と互いに着物を取り替え合い、おとりとなって時間を稼ぐことにした。策は見事に功を奏して亀之丞は追っ手をかわすが、おとわは危険な振る舞いを母の千賀からきつく咎められる。一方、直満謀反が今川家につつ抜けだったのは井伊家家老:小野和泉守政直の働きによるものだった。その手柄により小野は井伊家目付を今川より任ぜられ、更に嫡男鶴丸をおとわの婿にという下知も得る。隠居した先々代の井伊直平や井伊家縁戚の家臣:中野直由はこれに反発し、井伊家中の雰囲気はあわや一触即発に。

 一方、小野家の鶴丸はおとわに好意を抱いてはいるが、あまりにも強引な父のやり方は不満であり怒りも感じていた。鶴丸はその気持ちをストレートに父政直にぶつけるが、父の方はそれを正面から受け止めようとはせず、親子間の空気は険悪になっていく。また、おとわ自身も鶴丸のことを嫌ってはいないものの、目下の所は亀之丞のことで頭がいっぱい。鶴丸は誰とも気持ちを通わせられなくなり、孤独感を深める。

 そして、鶴丸との新たな夫婦約束を両親から言い渡されたおとわは「亀之丞を待っていなければ」と思いつめ、夜中にこっそり家出をしてしまうのだった。しかし子どもの足のこと、遠くに行く前に空腹と疲れを覚え、領内のあばら屋で休息を取る。ところがそこには流れ者の解死人が住んでおり、彼の手で朝には屋敷に連れ戻されてしまう。母の千賀はまたも立腹する。

 思い余ったおとわは「出家をすれば鶴とめあわされずにすむ」と思いつき、髪を削ぎ落とすのだが…。

 

戦国ラブ・コメディ(?)の裏でパパは苦悩する

初見で思ってたのよりずっとラブ・コメ風味だった

 亀之丞に恋するおとわと、おとわの王子様=亀之丞。秘かにおとわを想いながらも耐え忍ぶ鶴丸。この関係と、恋するおとわが亀のためにあれこれガンバる!姿は記憶にあったものより、はるかにラブ・コメでしたよ。

 あれですね、おとわを演じた新井美羽ちゃんが当時まだ10歳・亀之丞を演じた藤本哉汰くんが13歳ということで、フェロモン足りてないというか第二次性徴前だからというか、色っぽさは全然無いのですが。たまにいるよね、子ども時代に、こういう真剣な恋(…?…)しちゃう子たち。これは恋と言って良いのかどうか…でも本人同士は真剣に好き合ってるよね、みたいな。で、フェロモンが出ていないため周囲にはイマイチわかってもらえてなさげな感じ。あるあるこういうの、というリアリティを感じました。

 でまあそれが、なにせ時代が戦国時代ですので、身代わりになるっちゃ命がけ、家出をするっちゃ命がけ、いちいち命がけな訳です。で、当人はお姫様育ちのためその命がけ具合をイマイチ理解出来ておらず、もっぱら周囲(特に両親)が代わりに寿命の縮む思いをしています。

 

おとわが人生初の挫折体験をした…描写だったかもしれない

 ところで、この回はもしかしたら、一見能天気でお気楽そうな主人公=おとわが生まれて初めての挫折や屈折を経験した、そんな体験を描写した回として記憶されるすべきかもしれません。

 第1回ではまったく無邪気そのものだったおとわが、亀之丞との初恋を経験しました。そしてこの第2回では、その初恋の灯がお家の都合であっけなく吹き消されようとしています。この体験によりおとわは「自分が井伊家領主のひとり娘でなかったらよかった。自分がいなくなれば良いのだ」と思い込むことになります。その結果、家出を試みることになるのです。

 初回でも、もともと自分が家督を継ぐつもりだったおとわに「亀之丞を婿に迎えて跡目を継がせる」というプランが示され、彼女はそのことを最初不服に思いました。しかしそれは母の「どちらにしても同じこと。結局は後継ぎを儲けねばならないので、結婚しなければならない」という現実提示、そして、亀之丞を好きになったという状況変化により、おとわにとって(おそらく)人生最初の精神的な危機を乗り越えました。

 

 ところがこの回でおとわは、新たな状況の変化により、芽生えたばかりの亀之丞への想いを断ち切り鶴丸と婚約せよ、それ以外に井伊家が生き残る道はないと両親に言い渡されました。

 命の危険が迫る中「必ず戻る」「待っておる」と言い交わした約束は彼女にとってとても大きな経験だったでしょう。しかし、個人にとってどんなに大切な約束でも「お家」のためには方向転換を強いられざるを得なくなる。そんな戦国ならではの理不尽を、姫育ちのおとわが生まれて初めて身をもって体験します。そんな状況に嫌気が差し「自分なんかいなくなれば良いのだ」と家出を企てても、見つかって連れ戻されれば「心配し必死になって探した皆のことを考えなさい」と叱られるのです。亀のことを思う気持ちは分かったが、井伊のみんなのことも考えて、と。その理屈が全く理解できないほどおとわは幼くはありませんでしたが、全てを飲み込んで引き受けられるほど成熟してもいませんでした。

 第2回はそんな大人でも辛い葛藤を、幼いおとわがどう解決しようとしたか。そんな展開になっています。

 

描写は少ないものの垣間見える井伊直盛の苦悩にも注目したい

 ドラマのメインは、主人公:おとわが巻き起こす騒動が中心。表面的にはコメディ・タッチの(しかし今川方の追っ手がシリアスさを醸し出し一部サスペンスタッチでもあり)展開が繰り広げられますが、その裏であちこちにおとわの父:井伊家当主=直盛の苦悩が描写されているんですね。

 これ、第1回から非常に目立たない感じで、ポロッ、ポロッと出てくるんですが、こうして振り返ってみると「脚本上手いなぁ、設定細かいなぁ」と思います。

 まずちょっと遡りますが第1話より。井伊直満の息子:亀之丞を将来おとわの婿に、という話が出た(であろう話し合いの)後、直盛はそれについての決定を悩んでいるふしがあります。おとわと野駆けに出て、山上の城まで行った時ですね。

 次にまだ第1話の時点ですが、駿府に呼び出された時の直満のリアクションに不審を抱き、龍潭寺南渓和尚にこっそり相談する場面が。つまり、そういう場合に、家臣の誰にも相談出来ないということです。

 直満の死後も、祖父(直満にとっては父)直平を始め中野・奥山ら井伊家縁戚の家臣らは、直満の謀反よりそれを今川に伝えた小野政直への怒りをあらわにし、直満の行動に全く頓着していません。

 しかし、実際には、直満は当主直盛の頭越しに今川への謀反を企み、密書をしたためていた訳ですから、直盛に対しても造反しているのと同じ事です。当主として直盛は、その事に対してやり切れない思いをしていた筈なのですが、祖父の存在が大きいため、それを表に出せない。

 また家老の小野もこの件を利用して隙あらば主家乗っ取りを、という態度を示しだしているため、こちらも迂闊に目を離すことができません。妻の実家である新野家(妻の兄:新野左馬助)はかろうじて信を置くことができますが、穏やかな義兄では血気盛んな井伊家臣団を抑え切れそうもない…。

 そんな様子がポイントポイントできっちり描写されています。

 ただ、けっして説明過多ではないんですね。直盛が一瞬見せる表情や、言葉を飲み込むさま、何気ない一言や一場面がサラッと挟み込まれる程度です。おかげでこの部分がやや伝わり難かったのですが、それはドラマとしての面白味ということを重視したり、バランスを考えてのことでしょう。

 後々への伏線にはなっていますので、緻密な構成だと評価したい部分です。

 

おまけ=鶴丸とあばら屋の男

 特筆したいのは苦悩する小野鶴丸(小林颯くん演)の翳りある風情が、もう成長後の高橋一生(本役)味を非常に帯びていること。NHKの子役選びすごい。

 そしてもう一人、「あばら屋の男」(解死人)として登場したムロツヨシ。おとわが家出をしたときに出会う、あばら屋を住まいとし村の解死人として養われている流れ者ですが、怪しげなところとコミカルなところとただ者ではない雰囲気が強烈でした。ここだけLIFEかと思った。

 

面白いがどう評価してよいか戸惑う2回目

 全体としては、面白かったのですが、第2回は初回に比べややコメディに傾いていた感が。それで、相変わらず「この先どうなるの…」といった不安感のようなものがつきまとっていた回だったように思います。

 第1回ではちょっと前まで「ガハハ」と豪快に笑っていた、主人公婚約者の父(注:井伊直満のこと)が、あっけなく首桶に入れられて帰ってきました。うわー怖い、さすが戦国、となった後に、一転してこの第2回では主人公の行動がほぼコメディ、時々それを通り越してまるでギャグになっていたりします。鶴丸とその父小野政直の場面はシリアスだったのですが、この調子では果たして今後は?と観る方も戸惑いました。これ、大河ドラマだよね、大丈夫…?という思いといいますか。

 今にして思えばこのアップダウン感は最後まで続きますし、1年視聴した後はすっかりリズムを飲み込んで、物語に引き込まれていきました。しみじみ振り返るに、この「おんな城主 直虎」って大河ドラマ史上稀に見る大冒険だったなぁと思います。

「西郷どん」1~2話視聴後のふんわり感想あれこれ<後編>

【後編】推せる部分=希望編

 さて、前編でモヤモヤと心を曇らせていた部分について言語化したので、次は特筆したいところ、今後も楽しみにできる部分について。

 

演出は凄腕だと直感

 第1回~第2回を演出されたのは、チーフ演出家の野田雄介さんでした。この方の演出というか、ドラマのまとめ方はとても好みです!素晴らしいと感じました。チーフでいらっしゃるということなので、最終回まで、全体の流れやまとまりにも期待しています。

 

 まずなんと言っても第1回。回別の感想でも書きましたけど、画面展開が良かった。テンポの良さやリズムを感じられました。で、子ども達の世界がキラキラしていて、斉彬様との場面はファンタスティック。おそらく、今後 ー あと何年か経った後でも「西郷どん」あの第1回良かったねぇ、って思い出すでしょうね。そう感じています。

 第2回はやはり個別感想で書きましたが、実は脚本上、物語の芯になる主役の心情がブレていて、それによってストーリー展開がズレていたのでした。

 (歴史の小ネタや歴史的な事件と、後からまた登場する少女、ふきを伏線的にここで出す必要性など、盛るべき要素が多くて破綻なく重ねられなかったのでしょうね。)

 それでも、見終わった直後に感じた違和感は「あー、なんかあちこち散漫だったね。あと吉之助も糸も暢気過ぎない?」程度でした。つまり、演出(と俳優さん全員の演技)でカバーできていたんだと思います。これはすごいことだと考えています。全てのピースがバチッとハマれば神回ができるはず。期待したいです。

 

セットや衣装も素晴らしい

 直前番組で紹介されていましたが、貧しさを出すためにわざとシロアリ害を受けた木材を使うなど、こだわりを持って作られたセットは素敵です。西郷家と大久保家の間に立つクスノキの存在感も良くて、主人公(小吉→吉之助)が何か考え事をするときに上がっていく屋根の上も南国らしくて良いですねー。歴代大河に負けず劣らず、今年のセットも素晴らしい。

 衣装は、今のところ島津斉彬の衣装デザインが群を抜いて素晴らしいと思いました。初回の扮装がスチームパンクのコスプレみたい、という感想がtwitterでチラホラ出てましたが、当時で多分3~40年くらい人の先を行っている、和洋折衷のスタイルがとてもオシャレです。今後も、時代や西郷どんの活躍する場が変わっていくにつれ、衣装も色々変化していくと思いますので、この点も楽しみのひとつ。

 総じて感じるのはやっぱり「NHK大河ドラマ班スタッフの努力はすごい」ということでしょうか。底力を感じました。今年もこのあたりは視聴者として心から信頼できると思っています。

 

鹿児島弁と地方色

 twitterに「迫どんの薩摩ことば講座」が不定期で上げられているなど、鹿児島の地方色PRも楽しめる部分だと思ってます。ロケ地も美しくて。

 薩摩弁(鹿児島弁)は、俳優の皆さん、とても努力していらっしゃいますよね。私たち視聴者側の聞き取りの問題は、個人差があるんで何とも言えないなぁ、という感じですが、私個人としては「字幕があればわかるかなー」という状況なので、薩摩弁を楽しみみたいと思います。この後、長州や土佐、京、江戸、もしかしたら東北などの言葉も出てくるのでしょうか。その辺の生な幕末感が見聞できたら楽しそう。

 

演技陣は盤石の安定感

 主役の鈴木亮平さんをはじめとするキャストの皆様の演技は、素直にすごいと思ってます。

 余談ですが、第2回に出てきた渡辺謙さんの着物の着こなし方がホント良かったなぁー。仙厳園(磯の御殿)のシーンで、胸の合わせをワザと緩めてざっくり着てましたよね。お父上の斉興公や弟の久光がきっちり着付けていたのと対称的に。ああいうのホント素敵。(衣装の話なのか迷いましたが、なんとなく演技・演出系かなぁと思いこちらで。)

 
個人的な注目の人物は大久保正助島津久光

 皆さん素晴らしい演技なんですけど、中でも個人的に注目してる作中人物は、西郷吉之助の親友:大久保正助(瑛太)と、島津斉彬の弟:島津久光(青木崇高)、この2人。

 大久保は、頭は良いけどちょっと癖があって、少し空気が読めなくて人づきあいが苦手なんだけど吉之助のことは大好き!という雰囲気を瑛太さんが演じることで、真面目で情熱的だけど少し抜けてる、鈴木亮平さんの吉之助との掛け合い、面白く観ることができそう。既に2話目も、2人のパートは目が引きつけられました。

 

 島津久光の方は、今は親子の対立が深刻な島津家パートの絶大な癒やしになってます。両親に愛され、異母兄のことも大好き、というボンボン育ち風味のとぼけた感じが絶妙。しかし彼は今後、西郷どんの前に立ちはだかる大きな壁となる筈なので、そのあたりの変化がどうなるか、今から楽しみな存在です。

 

今のところ脚本にはやや辛口だけど期待もあります

 そして、今のところ脚本と作劇姿勢に対して、やや厳しいことを言っている割合が多いですが、期待が全然ない訳ではありません。

 中園ミホさんの連続ドラマということで引き合いに出せば、「花子とアン」にも好きなエピソードとかパート、いくつもあったので。花子の妹かよ(黒木華)と村岡郁弥(町田啓太)のすれ違いの悲しい恋や、物語の最後の方でかよが戦災孤児たちを引き取って生きていく過程などは、今でも思い出しますし。

 物語全体がもっと動き出してきたら、良い場面も思い出になるエピソードも出てくるのではと、明るい見通しを持っています。

 2話でストーリーラインが…と苦情を述べた件も、これ、アレですからね。ドラマ内の赤山靱負(沢村一樹)と吉之助の会話で、

 赤山「吉之助、ないをどげんしたかとか?」 吉之助「おいには分かいもはん。じゃっどん…」

と、(ブレていることについての)セルフフォロー入ってます。苦肉の策なんですよねー、おそらく。まあ、これからこれから。

 

 

「西郷どん」1~2話視聴後のふんわり感想あれこれ<前編>

【前編】気になる部分=暗雲編

今回の記事コンセプト

 「西郷どん」初回子役編・第2回大人編1話目と視聴したところで、方向性やイメージなど、各話感想で書き切れなかったことをなんとなく書き留めておこうと思います。

 前後編に分けて、まず最初は前編で気になること・心配なことを。

 で、後編は褒め足りてないところを書こうかと。

 

ドラマの中に未来人視点…?

 というわけで、トップにくるのはこちら。第1回放送時に、twitterでちょっと話題になりました。というのは52分過ぎ頃に島津斉彬(渡辺謙)のこんなセリフがあるんですね。

 

「侍が重い刀を2本も差して、そっくり返る時代は終わるんだ。これからはな、かよわき者の声を聞き、民のために尽くせる者こそが、真の強い侍となる。お前はそういう侍となればよい。」

 

これを受けて、「侍の世が終わることを予知…?未来人だね」というざわめきがあったという訳ですが…。

 いや、待って!斉彬はひとことも「侍の世は終わる」なんて言ってないよ!!彼は「侍が刀を差してそっくり返る時代は終わる」と言ってるのです。その2つって結構違うじゃないですか。

 登場時からこのお話の中の斉彬は、諸外国情勢に通じ、大砲の研究などをする人物として描かれている訳です。もう世界規模では刀は戦闘の主武器たり得ないことや、西欧列強各国の国力が強い背景には、軍人階級(日本の武士にあたる)以外の人々の働きが大きいこと、などを知っていても、おかしくありません。

 という訳で、私は上記のセリフを現代人視点とは思わないのです。むしろ、当時の先進的な人物の見通しはここまできていたが、世の中がそれについていけていなかった、という悲劇性を暗示していていいと思っています。

 とはいえ。

 
本当の未来人は他の場面に紛れ込んでいた

 未来視点というポイントで、初回に「あれ?」と思った箇所、実は私にもあります。それは、先に挙げた斉彬vs小吉(渡邉蒼)の場面から更に後、赤山靱負(沢村一樹)が下鍛冶屋町・高麗町郷中の子ども達に、世界地図を見せ、薩摩はこの中だと点のような小ささだよ、と、示した場面のことです。

 そこで、郷中仲間のひとり大山格之助(犬飼直紀)が「こげな小さか中で縄張り争いしちょっおいたちは、ほんのこてアホらしか」と言い、それに赤山靱負が「ハハハ、じゃっどな(そうだな)。」と答えていました。

 これ。ここのこの2人、すっごい未来人だったと思います。

 今まで薩摩の中しか知らない人生を過ごしていて、むろん外国人と会ったことも無く、もしかしたら薩摩以外の国(藩)の人とさえ会ったことがない。その状態で、生まれて初めて世界地図を見て、即座に「世界と自分の人生を対比できる」少年ってすごいです。新聞もテレビもネットも、SkypeもLINEもないのに、ただの紙一枚を目にしただけで、そこまで考えが至るのは不自然だと思いませんか。

 「世界ってすごい。大きい。どこに何があるんだろう。世界とはどういうところか」とは思えども、差が圧倒的すぎて、その場では、それ以上に考えを発展させるのが難しい状態に普通はなると思います。「こんな小さなとこでマジメに縄張り争いなんてばからしーい」なんていう発想は、「自分には想像もつかないほど大きな世界」を提示されて、ただちにそれを自分の視野に取り込める人だけが持てるもの。そんなの天才だけでしょう。私は幕末下級武士家の普通の少年が、そんな精神状態にあれたとはとても思えません。という訳で、あれは未来視点補正が入ってる発言と断じます。つまり、

 

 今の私達にはごく普通の発想なんで皆サラッと受け入れちゃっただろうけど、だからあのセリフ、本当は結構未来人視点の発言ですよ。

 

 なのでね…、「斉彬様が未来人だ」というケースより、実際の状態の方が余計危ういと感じてます。なぜなら、こういう細かいところは制作サイドでもまた視聴者からも見逃されやすいので、今後も似たケースがしばしば登場しかねないと思うからです。1回見逃しちゃうと、人は段々鈍感になって「問題なんてない」と思い込んでしまいやすいですしね。

 

あと第2回の借金取りたちだって本当はね…

 ついでに言えば、第2回に登場した借金取り立て2人組と西郷吉之助(鈴木亮平)のやり取りも、「武士とそれ以外」という視点で見たら実はおかしいと思うのです。

 その場しのぎで良ければですが(証文の有無など細かいところが不明なので仮定も色々難しいですけど)、吉之助が武士(しかも下っ端とはいえ役人)という身分を前に押し出せば、何もなけなしの銭を投げ出さなくても、あの2人は手ぶらで去らざるを得なかったのでは?少なくとも「こげなはした金、ふざくんな!」なんて武士に向かって滅多に言えないよね。吉之助さぁはちょうど刀が上手く使えない設定だけどね。それはあの人達にはわからないわけだし。

 それに、不払いだから借金の担保を取っていくのは誰はばかることなく押し通せる正義、っていうのはやっぱり少し未来視点だと思います。おそらくこの時代の薩摩なら、どちらかと言えば「武士は正義」的な社会風潮なんじゃないかと。

 (幕末しかも薩摩に関してはそれほど詳しくないので、断言はできませんが…)

 

とはいえ厳しい目で見すぎるのはやめようかと思います

ただ、こういう部分って実際問題チェックが難しいんだろうなーと思います。なんというか、今回、作家さんや脚本家さんは「歴史は詳しくない」と断言してますし。時代考証の先生方は、歴史のプロではあってもドラマのプロではないわけです。そんなに細かくすり合わせができない、という難点があるのじゃないかな。そう案じています。

 

 と、こう書いているうちに。2016年「真田丸」のエピソードで思い出したことがあるのですが…、わりと有名なやつを。

 初回に穴山梅雪が出てくるのを「当時穴山は駿河にいた」という史実を時代考証陣が主張し、脚本の三谷幸喜氏は「どうしても穴山が必要」とあわや喧嘩になりそうになった、という話をですね。結局プロデューサーさんの仲立ちで検討に検討が重ねられて双方納得する形で収まった、というエピソードです。

 これはつまり、考証の先生方も三谷さんも歴史にも・歴史ドラマにも・ドラマそのものにもこだわりがあって、その熱意が史実の壁を越えたケースなんじゃないかな、と思う訳です。やっぱり、そういうふうに三拍子揃う、っていうのは天恵というか、滅多に起こり得ない現象かもしれませんね。毎年そうなって当然という事では、ないのかもしれないです。だから今年は、あまり期待をかけ過ぎてはいけないのかもしれません。

 

当時の島津家家督問題は、サラッと終わってしまうかも

 次に観ていてなんとなくあれ…と思うことは、これではないでしょうか。

 第1回・第2回時点での現島津家当主:島津斉興(鹿賀丈史)と世子:斉彬との間にある不協和音と、この間の家督継承騒動。これは、物語序盤の大きなトピックの筈なのですが、現時点では、あまり深く掘り下げられていない気がします。

 斉興がどうして斉彬を嫌うのかが、斉興サイドから発せられるセリフのみでしか説明されていませんし、なぜ斉彬が父の懐に入り込めないのかがドラマ内で提示されていません(なので、斉彬の有能さに対して、疑問符がついてしまってますよね)。

 

 しかし、なんとなく原作やガイドブックを読んだり、物語の流れ(第3回予告まで)を見るに…ここはおそらく、サラッと流されそうな予感がしますね。ここに力点はない、と思った方が、歴史ファンの精神衛生のためには無難そうです。島津家パートは島津久光(青木崇高)のお茶目ぶりを愛で、この後は赤山靱負先生お気の毒、とか、調所広郷も無念…とか、どうやら観る方もそんな感じで流していった方が良いのではと考えるに至りました。

 そのかわり、序盤はもっと、吉之助さぁと大久保正助どん(瑛太)の掛け合いなどを楽しむと良いでしょう。(と、今のところ私は思ってます。)

 

あとはやっぱり糸さんだなぁ。

 というわけで、懸念材料として①細かいところで未来人視点が入るのと、そのせいで全体の整合性が気になるよ、と、②島津家お家騒動はあんまり深く突っ込まれないよ、そこに興味がある歴史好きさんは覚悟しとこう、を挙げてきました。あと大きいところはもうひとつ。③岩山糸(後の西郷糸)さんが今のところ変人に見えるけど大丈夫?、ということでしょうか。

 なにせ第1回では「男の子と一緒に学問や剣術や相撲がしたい」と言わしめましたし、第2回では酒席で身内でもない男性に意見(「食べものを粗末にすっ人間が、お国の将来を語っちおこがましか!」)してます。現代だって、2番目のは危ないですよ意外と…お酒の席で紅一点だったりすると、発言には気をつけないとわりと危ない。男尊女卑の薩摩、という時代設定であれは大丈夫なのでしょうか。そのくせ、西郷どん(好きな人)の仕事先にはついていくし…。

 きりちゃん(「真田丸」ヒロイン、長沢まさみさん演)が初期にかなりバッシングを受けたのを思い出します。でも、多分、黒木華さんだから、そういうバッシングはおそらくないだろうなぁ。

 まぁ、わかるんですよ。ヒロインとして彼女を起用するなら、若い時から出したいですよね。だって可愛い演技がすごく似合うひとだから。出しちゃうのは仕方がない気がします。

 あと、史実での西郷隆盛と糸さんの結婚は、ほとんど顔合わせもせずに、再婚同士ということであっさり行われたとか。特にエピソードもなかったようです(その時代にはおくあること)。その前後は西郷どんも幕末における動乱の渦中まっただ中で、ラブストーリーに尺をあまり割けないないでしょうしね。展開の都合もあるでしょう。

 

 と、いうことで、ヒロインを黒木さんに設定し、その上で彼女を青春時代から登場させると決め、それに真正面から取り組むとしたら。やっぱりその時代の慣習通り、家にこもって大人しく家事手伝いに勤しんでいては、全然ストーリーに絡むことができないでしょう。そんな事情で今のようなキャラ設定になっているのではと思いました。

 

 でも制作側の事情を察することができたところで、視聴する側としては、じゃあそれで面白く観れるようになるかっていうと、決してそういうわけじゃないですからね。

 それで、ここできちんと言葉に出しておきたいです、自己満足に過ぎないとしても。

 あの糸さんに、というかむしろ、あの糸さんをゆるく見守るフェミニストのような幕末薩摩武士に、時代感を感じられず私はモヤります

 

 あとは、2回目は斉彬様がそれほど賢く見えなかったとか、赤山様がかなり抜けた人に見えたとか。そういう微妙に悲しい気持ちはありますが、あくまでも2番目に挙げたお家騒動絡みはサーッと過ぎるであろう、という観測に基づき、今は目をつぶることにします。

 ということで、気になること&駄目出し集中編はここまでに。