銀樹の大河ドラマ随想

2018年「西郷どん」伴走予定。「おんな城主 直虎」(2017)についても平行して書こうかと。

「西郷どん」1~2話視聴後のふんわり感想あれこれ<前編>

【前編】気になる部分=暗雲編

今回の記事コンセプト

 「西郷どん」初回子役編・第2回大人編1話目と視聴したところで、方向性やイメージなど、各話感想で書き切れなかったことをなんとなく書き留めておこうと思います。

 前後編に分けて、まず最初は前編で気になること・心配なことを。

 で、後編は褒め足りてないところを書こうかと。

 

ドラマの中に未来人視点…?

 というわけで、トップにくるのはこちら。第1回放送時に、twitterでちょっと話題になりました。というのは52分過ぎ頃に島津斉彬(渡辺謙)のこんなセリフがあるんですね。

 

「侍が重い刀を2本も差して、そっくり返る時代は終わるんだ。これからはな、かよわき者の声を聞き、民のために尽くせる者こそが、真の強い侍となる。お前はそういう侍となればよい。」

 

これを受けて、「侍の世が終わることを予知…?未来人だね」というざわめきがあったという訳ですが…。

 いや、待って!斉彬はひとことも「侍の世は終わる」なんて言ってないよ!!彼は「侍が刀を差してそっくり返る時代は終わる」と言ってるのです。その2つって結構違うじゃないですか。

 登場時からこのお話の中の斉彬は、諸外国情勢に通じ、大砲の研究などをする人物として描かれている訳です。もう世界規模では刀は戦闘の主武器たり得ないことや、西欧列強各国の国力が強い背景には、軍人階級(日本の武士にあたる)以外の人々の働きが大きいこと、などを知っていても、おかしくありません。

 という訳で、私は上記のセリフを現代人視点とは思わないのです。むしろ、当時の先進的な人物の見通しはここまできていたが、世の中がそれについていけていなかった、という悲劇性を暗示していていいと思っています。

 とはいえ。

 
本当の未来人は他の場面に紛れ込んでいた

 未来視点というポイントで、初回に「あれ?」と思った箇所、実は私にもあります。それは、先に挙げた斉彬vs小吉(渡邉蒼)の場面から更に後、赤山靱負(沢村一樹)が下鍛冶屋町・高麗町郷中の子ども達に、世界地図を見せ、薩摩はこの中だと点のような小ささだよ、と、示した場面のことです。

 そこで、郷中仲間のひとり大山格之助(犬飼直紀)が「こげな小さか中で縄張り争いしちょっおいたちは、ほんのこてアホらしか」と言い、それに赤山靱負が「ハハハ、じゃっどな(そうだな)。」と答えていました。

 これ。ここのこの2人、すっごい未来人だったと思います。

 今まで薩摩の中しか知らない人生を過ごしていて、むろん外国人と会ったことも無く、もしかしたら薩摩以外の国(藩)の人とさえ会ったことがない。その状態で、生まれて初めて世界地図を見て、即座に「世界と自分の人生を対比できる」少年ってすごいです。新聞もテレビもネットも、SkypeもLINEもないのに、ただの紙一枚を目にしただけで、そこまで考えが至るのは不自然だと思いませんか。

 「世界ってすごい。大きい。どこに何があるんだろう。世界とはどういうところか」とは思えども、差が圧倒的すぎて、その場では、それ以上に考えを発展させるのが難しい状態に普通はなると思います。「こんな小さなとこでマジメに縄張り争いなんてばからしーい」なんていう発想は、「自分には想像もつかないほど大きな世界」を提示されて、ただちにそれを自分の視野に取り込める人だけが持てるもの。そんなの天才だけでしょう。私は幕末下級武士家の普通の少年が、そんな精神状態にあれたとはとても思えません。という訳で、あれは未来視点補正が入ってる発言と断じます。つまり、

 

 今の私達にはごく普通の発想なんで皆サラッと受け入れちゃっただろうけど、だからあのセリフ、本当は結構未来人視点の発言ですよ。

 

 なのでね…、「斉彬様が未来人だ」というケースより、実際の状態の方が余計危ういと感じてます。なぜなら、こういう細かいところは制作サイドでもまた視聴者からも見逃されやすいので、今後も似たケースがしばしば登場しかねないと思うからです。1回見逃しちゃうと、人は段々鈍感になって「問題なんてない」と思い込んでしまいやすいですしね。

 

あと第2回の借金取りたちだって本当はね…

 ついでに言えば、第2回に登場した借金取り立て2人組と西郷吉之助(鈴木亮平)のやり取りも、「武士とそれ以外」という視点で見たら実はおかしいと思うのです。

 その場しのぎで良ければですが(証文の有無など細かいところが不明なので仮定も色々難しいですけど)、吉之助が武士(しかも下っ端とはいえ役人)という身分を前に押し出せば、何もなけなしの銭を投げ出さなくても、あの2人は手ぶらで去らざるを得なかったのでは?少なくとも「こげなはした金、ふざくんな!」なんて武士に向かって滅多に言えないよね。吉之助さぁはちょうど刀が上手く使えない設定だけどね。それはあの人達にはわからないわけだし。

 それに、不払いだから借金の担保を取っていくのは誰はばかることなく押し通せる正義、っていうのはやっぱり少し未来視点だと思います。おそらくこの時代の薩摩なら、どちらかと言えば「武士は正義」的な社会風潮なんじゃないかと。

 (幕末しかも薩摩に関してはそれほど詳しくないので、断言はできませんが…)

 

とはいえ厳しい目で見すぎるのはやめようかと思います

ただ、こういう部分って実際問題チェックが難しいんだろうなーと思います。なんというか、今回、作家さんや脚本家さんは「歴史は詳しくない」と断言してますし。時代考証の先生方は、歴史のプロではあってもドラマのプロではないわけです。そんなに細かくすり合わせができない、という難点があるのじゃないかな。そう案じています。

 

 と、こう書いているうちに。2016年「真田丸」のエピソードで思い出したことがあるのですが…、わりと有名なやつを。

 初回に穴山梅雪が出てくるのを「当時穴山は駿河にいた」という史実を時代考証陣が主張し、脚本の三谷幸喜氏は「どうしても穴山が必要」とあわや喧嘩になりそうになった、という話をですね。結局プロデューサーさんの仲立ちで検討に検討が重ねられて双方納得する形で収まった、というエピソードです。

 これはつまり、考証の先生方も三谷さんも歴史にも・歴史ドラマにも・ドラマそのものにもこだわりがあって、その熱意が史実の壁を越えたケースなんじゃないかな、と思う訳です。やっぱり、そういうふうに三拍子揃う、っていうのは天恵というか、滅多に起こり得ない現象かもしれませんね。毎年そうなって当然という事では、ないのかもしれないです。だから今年は、あまり期待をかけ過ぎてはいけないのかもしれません。

 

当時の島津家家督問題は、サラッと終わってしまうかも

 次に観ていてなんとなくあれ…と思うことは、これではないでしょうか。

 第1回・第2回時点での現島津家当主:島津斉興(鹿賀丈史)と世子:斉彬との間にある不協和音と、この間の家督継承騒動。これは、物語序盤の大きなトピックの筈なのですが、現時点では、あまり深く掘り下げられていない気がします。

 斉興がどうして斉彬を嫌うのかが、斉興サイドから発せられるセリフのみでしか説明されていませんし、なぜ斉彬が父の懐に入り込めないのかがドラマ内で提示されていません(なので、斉彬の有能さに対して、疑問符がついてしまってますよね)。

 

 しかし、なんとなく原作やガイドブックを読んだり、物語の流れ(第3回予告まで)を見るに…ここはおそらく、サラッと流されそうな予感がしますね。ここに力点はない、と思った方が、歴史ファンの精神衛生のためには無難そうです。島津家パートは島津久光(青木崇高)のお茶目ぶりを愛で、この後は赤山靱負先生お気の毒、とか、調所広郷も無念…とか、どうやら観る方もそんな感じで流していった方が良いのではと考えるに至りました。

 そのかわり、序盤はもっと、吉之助さぁと大久保正助どん(瑛太)の掛け合いなどを楽しむと良いでしょう。(と、今のところ私は思ってます。)

 

あとはやっぱり糸さんだなぁ。

 というわけで、懸念材料として①細かいところで未来人視点が入るのと、そのせいで全体の整合性が気になるよ、と、②島津家お家騒動はあんまり深く突っ込まれないよ、そこに興味がある歴史好きさんは覚悟しとこう、を挙げてきました。あと大きいところはもうひとつ。③岩山糸(後の西郷糸)さんが今のところ変人に見えるけど大丈夫?、ということでしょうか。

 なにせ第1回では「男の子と一緒に学問や剣術や相撲がしたい」と言わしめましたし、第2回では酒席で身内でもない男性に意見(「食べものを粗末にすっ人間が、お国の将来を語っちおこがましか!」)してます。現代だって、2番目のは危ないですよ意外と…お酒の席で紅一点だったりすると、発言には気をつけないとわりと危ない。男尊女卑の薩摩、という時代設定であれは大丈夫なのでしょうか。そのくせ、西郷どん(好きな人)の仕事先にはついていくし…。

 きりちゃん(「真田丸」ヒロイン、長沢まさみさん演)が初期にかなりバッシングを受けたのを思い出します。でも、多分、黒木華さんだから、そういうバッシングはおそらくないだろうなぁ。

 まぁ、わかるんですよ。ヒロインとして彼女を起用するなら、若い時から出したいですよね。だって可愛い演技がすごく似合うひとだから。出しちゃうのは仕方がない気がします。

 あと、史実での西郷隆盛と糸さんの結婚は、ほとんど顔合わせもせずに、再婚同士ということであっさり行われたとか。特にエピソードもなかったようです(その時代にはおくあること)。その前後は西郷どんも幕末における動乱の渦中まっただ中で、ラブストーリーに尺をあまり割けないないでしょうしね。展開の都合もあるでしょう。

 

 と、いうことで、ヒロインを黒木さんに設定し、その上で彼女を青春時代から登場させると決め、それに真正面から取り組むとしたら。やっぱりその時代の慣習通り、家にこもって大人しく家事手伝いに勤しんでいては、全然ストーリーに絡むことができないでしょう。そんな事情で今のようなキャラ設定になっているのではと思いました。

 

 でも制作側の事情を察することができたところで、視聴する側としては、じゃあそれで面白く観れるようになるかっていうと、決してそういうわけじゃないですからね。

 それで、ここできちんと言葉に出しておきたいです、自己満足に過ぎないとしても。

 あの糸さんに、というかむしろ、あの糸さんをゆるく見守るフェミニストのような幕末薩摩武士に、時代感を感じられず私はモヤります

 

 あとは、2回目は斉彬様がそれほど賢く見えなかったとか、赤山様がかなり抜けた人に見えたとか。そういう微妙に悲しい気持ちはありますが、あくまでも2番目に挙げたお家騒動絡みはサーッと過ぎるであろう、という観測に基づき、今は目をつぶることにします。

 ということで、気になること&駄目出し集中編はここまでに。