銀樹の大河ドラマ随想

2018年「西郷どん」伴走予定。「おんな城主 直虎」(2017)についても平行して書こうかと。

西郷どん 第3回「子どもは国の宝」 感想

中村半次郎登場、そしてお由羅騒動。

第3回:2018年1月21日(日)「子どもは国の宝」。

 

あらすじ

 前回の出来事(農民の娘ふきが借金のかたに売られる)により、薩摩における農民の窮乏を憂えた吉之助(鈴木亮平さん演)は、江戸にいる薩摩藩世子:島津斉彬(渡辺謙さん演)に意見書を何通も書き続けた、とアヴァンでナレーションが語ります。

 (注:西郷隆盛が江戸の斉彬に意見書を何通も書いたのは史実だそうですが、それは実際には斉彬の藩主時代だったそうです。このドラマではそこが少し前倒しにアレンジされています。)

 ところで、薩摩で貧乏なのは農民だけでなく、武士も同じでした。ことに西郷家は11人の大所帯。父吉兵衛と吉之助2人の禄も高くなく、したがって足りず、いつも皆がお腹を空かしています。そこで今回は吉之助、下男の熊吉(塚地武雅さん演)と2人、猪狩りへ。

 ちなみに第1回では鰻穫りをし、第2回では鰻に逃げられて、だんま(薩摩弁で川海老のこと)を持ち帰っていました。家では弟の吉二郎(渡部豪志さん演)が畑をやっていますが、それでも食べものは慢性的に足りていない様子です。

 吉之助と熊吉は無事猪を仕留めて機嫌良く家へ帰ります。が、家では祖父龍右衛門(大村崑さん演)が嫌な咳をし、三弟信吾が腹痛で寝込んでいました。その両方を医者に診せるにはお金が足りず、母満佐(松坂慶子さん演)も困り果てている様子。吉之助と熊吉は猪を売りに行こうと思い立ちますが、父吉兵衛(風間杜夫さん演)は武士の面目が立たないと大反対。また父子喧嘩になったところを隣の大久保父子が止めに入ります。

 翌日、吉兵衛は得意のそろばんを用い経理を手伝う赤山家で、当主靱負(沢村一樹さん演)に「この上は借金をするとつい見得を切ってしまったが、借りる当てが…」と本音を漏らしました。赤山靱負様はどうやらこのドラマでは、側に集まる人々を心寛く受け入れ、相談を受ける立場のようです。

 赤山の口利きで、吉兵衛は吉之助を伴い、借金のため豪商板垣屋(岡本富士太さん演)を訪れます。その帰り道、2人は芋(唐芋=サツマイモ)泥棒をする武家の少年:中村半次郎(中村瑠輝人くん演)に出会いました。まだ稚児と呼ばれる年頃ながら、見事な太刀筋を見せる半次郎に吉之助は見惚れます。

 一方江戸では、老中阿部正弘(藤木直人さん演)と島津家世子斉彬が手を組み、なかなか隠居しない薩摩藩主斉興を失脚に追い込もうと画策していました。斉彬は薩摩藩が清国相手に密貿易をしていること・琉球出兵に関する幕府の命に忠実に従わずごまかしをしていることなどを書類にして阿部正弘に手渡していたのです。老中・阿部は薩摩の家老:調所笑左衛門広郷を江戸に呼び出して事情聴取に及びました。ところが調所は、密貿易等は全て自分の一存で行っており藩主斉興は預かり知らぬ事、と、しらを切り通し、服毒自殺してしまいます。斉彬の斉興隠居工作はここでいったん挫折しました。

 調所の死を知った斉興は怒り、斉彬支持派の藩士に対する大規模粛清に乗り出します(世に言う「お由羅騒動」ー別名「高崎崩れ」とも)。

 軽口を言っただけで遠島や切腹になってしまうと、人々は戦々恐々。吉之助や大久保正助大山格之助(北村有起哉さん演)など赤山門下の若い藩士達(後の精忠組)も、もっぱら隠れて密談に明け暮れる、そんな日々が来てしまいました。

 そんなある日、ついに赤山先生にも斉彬派の1人として切腹の沙汰が下されることに…。

 

前半は吉之助の暑苦しい(?)日々

下男・熊吉とは良いコンビ

 冒頭は先にも書いたとおり、吉之助が下男の熊吉と火縄銃を持って猪狩りをしているところから始まります。さすが「種子島(たねがしま、火縄銃のこと)」の本場、薩摩ですね。銃がカジュアルなんだなと思いました。5年前の大河「八重の桜」では、銃を扱う山本家の特殊な立場が描かれていましたので、違いが興味深いです。

 ドランクドラゴン塚地さんの熊吉と、鈴木亮平さんの吉之助のコンビは一見してとても仲が良さそう。猪をぶら下げ、歌いながら楽しげに帰宅するシーンは微笑ましく、南国的なおおらかさを感じました。ちょっと暑苦しい感じもしますけれども…(笑)。

 反対に、第2回でも親子喧嘩していた父:吉兵衛とは、見解の違いでまたもあわや掴み合いの喧嘩になりそうでした。お互いに血が熱くて頑固、といったところでしょうか。吉兵衛は、父には父としての尊厳や言い分があるのだ、貫くぞ、という雰囲気で、かたや吉之助は「親だろうと子だろうと、正しい方が正しいのだ」という熱血ぶりと意地っ張りぶり。うーん、なかなか可愛いところもあるんだけど、やっぱり少し面倒くさい人かも、吉之助どん。

 

 とはいえ、熱血で真摯な気性、体面より実を取る姿勢が豪商である板垣屋には気に入られたようです。彼に借金を申し入れる場面では、吉之助が武士の面目に拘らず土下座して願ったことで、必要な額を借り入れることができました。父の吉兵衛はなかなか面子を捨てられずお金を借りに来た人というより、取り立ての人のような態度だったため、板垣屋も最初は良い顔をしていなかったのですが…。

 この借金をしに行くというエピソードは、珍しく原作から取られています。今までの所、ストーリー展開がほぼ脚本のオリジナルなのですが、ここは珍しく原作準拠。

 

中村半次郎(後の桐野利秋)、早くも素晴らしい太刀筋を見せる

 ところで、第3回にして早くも、幕末の剣客として名高い中村半次郎が登場しました。芋泥棒として追われていましたが(当人は自分の畑の芋なので泥棒ではないと主張)、追っ手を棒切れで見事撃退、逃げ切ります。吉之助は父と共に板垣屋から100両を借りて帰る道すがら、偶然その出来事を目撃しました。

 この中村半次郎こと後の桐野利秋は、西郷隆盛と共に西南戦争を戦った部下なので、またひとつの「運命の出逢い」が描かれたという訳ですね。

 また、後に中村一家が困窮のためあわや脱藩、というところにも吉之助はでくわし「この半次郎ギラギラした目と剣の腕を埋もれさすとは惜しか」(=脱藩すなわち武士身分を捨てることとなる)、彼らを止めます。そして赤山靱負に頼み込んで、なんとか薩摩に留まれるよう手を回してもらうのでした。吉之助は(肝心な所は人頼みというところがちょっと弱いですが)、ここで半次郎の恩人となるのです。

 ところで、サブタイトルの「子どもは国の宝」は、未来の藩主(そして吉之助のヒーロー)島津斉彬の口癖から取られたものと思われますが、直接にはこの、剣の素質を大いに持った中村半次郎のことを指すもののようです。初回で描写されたとおり薩摩武士はまず武術第一だったので、こんなに剣ができる武士の子が武士を捨てるようではいかん、宝は宝として用いねば、という感じですね。

 吉之助にしてみれば、自分も一度は剣の上達を志していたが事故でやむを得ず断念した、という経緯がありますので(第1回)、それもあって、どうしても半次郎のことを助けたかったのでしょう。

 ーこの辺の関係性は史実とは異なる創作ですが、そのように描くことによって、第4クールにくるであろう悲劇の下準備を、丁寧に作り込んできているように思います。おそらくこうした、西郷周りの人間関係を丁寧に時間をかけて描いている、という部分が、本作のドラマとしての特徴ではないでしょうか。

 

忠実な熊吉どんのしっかりおばあちゃんが凄い

 ところで西郷家が板垣屋からお金を借りた理由ですが、史実では「石高(こくだか)を買い戻すため」だったそうです。が、ドラマ内では特にその説明はなし。お金が手元に入ってきた西郷家では、まずお米を買って近所にもふるまい、一家でもお腹いっぱい食べました。そして、下男の熊吉の実家にも2俵、吉之助と熊吉が持って行くことに。

 なんでも、熊吉の実家には昔西郷家に仕えていたおイシというおばあさんがいて、西郷家が食べものに困っている時には、いつも実家から食べものを都合してきてくれていたからということなんですね。せっかくだから恩返しをしたい、という訳です。

 (ここも原作準拠です。)

 このおイシを演じたのが佐々木すみ江さん。

 2008年大河「篤姫」で篤姫の侍女菊本を演じた方です。薩摩弁も老け役も堂に入っていて、実に上手い。人情家だけど、ただ甘々な優しいおばあさんではなく、なかなか弁が立って少し口の悪いところもある。足腰は少し弱ってるけれど、まだまだしっかり者でユーモアも茶目っ気もあるおばあちゃんです。そんな厚みのある人間性を、少ないセリフでよく表現しています。間の取り方や表情がすごく素敵なんですよね。

 「米2俵なあ、ぎっしりかぁ」

 一家の働き手はみんな小作に出ていて、留守番におイシがいるばかり、という熊吉の実家。もちろん裕福とはほど遠い貧乏農家です。お米2俵のプレゼントは夢のようだと、おイシばあも大喜び。

 ここの、吉之助・熊吉・おイシの芝居は本当に実感が籠もっていて、心温まるものでした。見どころポイントだったと思います。

 ここ、本作における西郷さん(さいごうさん)=西郷どん(せごどん)は、こういう世界を作りたい!と頑張ってきた人なんだ、ということを表現している大事な部分だと思うのです。

 前の第2回ではちょっと安直な設定(病弱な妻を抱えた貧乏小作農が借金のかたに目鼻立ちの良い娘を売らざるを得ないとか、その娘を連れて行こうとする貸し方の手先が、紋切り型の乱暴な女衒だとか)のために、そのテーマ出しが残念ながらちょっと安っぽく見えたんですけれども。

 この回では佐々木すみ江さんがバッチリ引き締めました。

 

 ただし、そんな吉之助の前には今もこの先も、立ち塞がる大きな山がいくつもあるのですよね。

 

不穏当で理不尽で不透明な「お由羅騒動」

 さて、この物語で描かれる最初の「大きな山」は、薩摩藩当主問題です。

 吉之助の敬愛する斉彬は、40歳を過ぎてもまだ世子(お世継ぎ)のままでした。これはその当時の慣習として極めて異例なことだったのですが、現藩主斉興は斉彬の性格を警戒し、隠居をしようとしません。

 なお、ドラマ内では専ら、「斉興が斉彬を嫌っているため」という描写になっていますが、これは実際には、もう少し複雑な事情があったそうです。吉之助は今のところ、無邪気なくらい「斉彬様が藩主になれば何もかも良くなる」と思い込んでいますが、果たしてそうなのか。その辺をどう描くのかが、気になるところではあります。

 

調所広郷と斉彬の場面は、後半最大の山場

 江戸幕府老中:阿部正弘は、早く斉彬に代替わりしてもらいたい立場にいます。

 というのは、(劇中ではなんの説明もないのですが) 彼は開明的な思想と広い視野を持っていた人物で、進取の気性に富んだ斉彬を大変高く買っていたということらしいのですね。欧米からの開国圧力に対抗するために斉彬の力を借りたいと思っていたようです。

 そこで、斉彬も阿部と手を組み、藩主交代を目論むのですが…。

 

 密貿易等に関する突っ込んだ事情聴取を、わざわざ江戸に呼び寄せた調所広郷相手に阿部正弘は舌鋒鋭く展開しますが、調所はあくまで自分一人の裁量でしたこと、と、老中の追求をかわし続けます。呼び出された時期は真冬。江戸の空には雪がちらついていました。

 ここで調所は、薩摩藩の内情が幕府に漏れたということは内通者がいる筈、その名を知らないままでは死んでも死にきれないので教えて下さい、と、老中に食い下がります。もちろん阿部正弘は答えないのですが、その時、調所の後の障子越しに、ふと人影が映るのです。そう、島津斉彬でした。斉彬はついで調所の前に自ら姿を現します。

 

 老中の前を辞した2人は廊下でしばし語り合います。斉彬は今夜一献、と、調所と腹を割って語り合いたい旨を伝えますが、調所は拒絶しました。

 「お世継ぎ様がお生まれになった日、我ら家臣一同、そいは喜んだもんでございもす。こいで薩摩は安泰じゃっち。」

 「そん時に飲んだ酒のうまさをふと思い出しもした。」

 そんな言葉を斉彬に残し、その夜、相変わらず雪のちらつく月明かりの下、調所広郷は服毒自殺。斉彬は調所の訪れを待ち続けていましたが、おとないは無く、調所自害の知らせが届きます。斉彬は一瞬瞑目し「死なせとうはなかった。」と側室喜久(戸田菜穂さん演)に吐露するのでした。

 

 斉彬と調所が廊下でしばし言葉を交わし合う場面。

 昭和の時代劇映画を見てるようだった…。生まれる前、1950~60年代くらいの?

 (10数年~20年以上も経った後に、平日の午後などにテレビで放映されてるのをほんの幼い頃に見たような感じのものです。)

 今はもう絶えて観ることのないような、昔の時代劇的な展開を目にしました。こういうお芝居をできる人って今もう少ないだろうな。竜さんがかろうじてリアタイで役者として知っていて、謙さんがおそらく子どもの頃かろうじてリアタイで観たことがある、ぐらいなんじゃないでしょうか。

 

 斉彬と調所、どちらもお互いの本音=本質的に求めているものを認めることはできない。ぶつけ合えば火花を散らして互いに傷つけ合い、決して相認め合うことはない。

 それでも内心を語り合いたい=開明的な性質の斉彬。そういう交わりを良しとしない調所。調所は冷たい刃とも、痛惜の思いとも、どちらとも取れる言葉だけを残して、斉彬の前を去ります。

 絶対的な拒絶の中にひと筋だけ混じる、ほのかな(家臣としての)敬愛の念。

 場面を見終わった後に、あれはどういう意味だったのだろうと、ずっとずっと考え続けてしまうような。余韻がいつまでも残る演技。

 ああいう、なんというんだろう、ある種の日本情緒?とでも名づけられそうな余韻の残し方を、ある年代の時代劇では、ひとしきりよく表現していたんですよね。今は絶えてしまったかと思っていたけれど、目にすることができて、びっくりしたというか…いや、やっぱり感激しましたね。

 イメージ的な言葉ばかり連ねたので、わからない方は本当に何を言ってるかわからないと思います。すみません、なんとか想像して下さいませ。

 だがしかし、平成も終わろうとしている今の時代に、あえて昭和風時代劇を復興させる意味は果たしてあるのだろうか。

  もし、これが、そういう描写を懐かしむであろう年代層(50代後半~60代以上)へのアピールであれば。大河ドラマを視聴する50代後半以上、という方はおそらく、「歴史にある程度興味がある」層な筈と思うのです。

 ということは、今の、「島津家お家騒動のポイントが、歴史問題としてはなんだか解りにくい。噂で騒いでるとか、島津家の家庭問題とか、そういうもの以上の何かがあるに決まっているじゃないか」ーと、考えそう。故にそのあたりを対象にしているとするなら、今のところ「なんだかピンとこないドラマ」というイメージが先行しているのでは…と、老婆心ながら考えてしまいます。

 大丈夫なんでしょうかね。

 

お由羅騒動は時間が無いので駆け足で、イメージで。

 調所自害が薩摩に伝わると、斉興は激怒。斉彬が裏で一枚噛んでいると察したのでしょう。斉彬派を厳しく処罰すると決意します。

 次回・第4回で新藩主誕生ということで、ここは「ふんわり感想あれこれ・前編」で予想した通り、めちゃくちゃ駆け足で「お由羅が悪いのだ」というイメージだけで赤山門下生がザワザワする、という描写のもと、最後に西郷吉兵衛が「赤山様に切腹のご沙汰が下った」と宣告する流れとなりました。

 

 この斉興vs斉彬、実はドラマ内でも小出し小出しに「今現在薩摩では何が問題か」がわりと色々提示されてるんですが、これが時系列でドラマ観てるだけだとめっちゃ判りにくいんです。

 なので、ちょっと提示の仕方で脚本の評価が損なわれてるなぁと思います。勿体ない。それについては、次回感想か、もしくは別にまとめて記事を書くかもしれません。

 

 ということで第3回の感想まとめ。

 前半パート=鈴木亮平さん・佐々木すみ江さん・塚地武雅さんの場面

 後半パート=渡辺謙さん・竜雷太さんの場面

 この2箇所で今では滅多に見られないような昭和風日本情緒のお芝居が堪能できた。これはこれでものすごくラッキー。

 あと、中村半次郎役の中村瑠輝人くんの殺陣がものすごく良かった。本人twitterによると、最初は抜刀もできなかったそうなので、その努力に惜しみない拍手を送りたいです。

 だけど(描いている)歴史がめっちゃ解りにくいので、できたら改善して欲しい。

 雰囲気はいいけど、もう少しナレーションとか説明セリフで⑴解りやすく⑵小まめに⑶破綻無く(これ最重要)、補足を入れていったら良いのではないかなと感じています。

 

 以上です。