銀樹の大河ドラマ随想

2018年「西郷どん」伴走予定。「おんな城主 直虎」(2017)についても平行して書こうかと。

西郷どん 第2回「立派なお侍」 感想

小吉改め西郷吉之助、走る。

第2回:2018年1月14日(日)「立派なお侍」。

 

あらすじ

 薩摩藩の世子:島津斉彬(渡辺謙さん演)との幻の邂逅(?)から6年。

 少年西郷小吉は元服も済ませ吉之助と名を改め、郡方書役助(こおりかた・かきやく・たすけ)という藩職に就いていました。郡方書役助というのは、年貢の徴収に関する郡方というお役所の事務補助のような立場だそうです。ということで、吉之助(鈴木亮平さん演)は、秋口に上役と農村に出向き、米の実り具合などを見て回ります。

 この年(弘化3年=1846年)の薩摩は凶作で、米の実入りも明らかによくありませんでした。

 迫村という名の村に立ち寄った時、吉之助は、借金のかたに売り飛ばされそうになっていた百姓の娘:ふき(柿崎りんかさん演)を助けます。厳しい年貢の取り立てにより困窮している百姓達を、なんとか助けられないものか。その後も吉之助は、色々考えては行動に移してみるのですが、ことごとく失敗。結局のところ、最後にふきは売られていくことになりました。

 このとき西郷吉之助(後の西郷隆盛)はかぞえの18歳(16歳で元服しています)。ドラマでは、お隣の大久保正助少年(後の大久保利通瑛太さん演)が元服後、記録所書役助(きろくじょ・かきやく・たすけ)として出仕することが決まったという場面も描かれ、祝いの宴が西郷家で開かれます。正助どんの年齢はかぞえの15歳。

 正助の就職祝いには、第1回にも登場した島津家一門の赤山靱負(沢村一樹さん演)も顔を見せます。このドラマで赤山は下鍛冶屋町・高麗町郷中の学問の師、という立ち位置にあるようですね。

 彼はなぜかこの宴席に、ひとりの若い娘を連れてきます。それはあの、岩山糸(黒木華さん演)でした。第1回で少年達に混じり、妙円寺詣りで甲冑を着て走り回った子です。赤山靱負は糸を「学問がしたくて赤山家で下働きをしちょっ」と紹介しました。

 男装で駆け回り、共にかすていら・いこ餅などのお菓子をパクついていた頃と違って(そりゃそうだ~、第一演者さんが違う)、髷を結って大人び、楚々とした笑顔を見せてはにかむ糸さんの可愛いいこと。正助はどうも一目惚れをした様子です。

 ところが、糸さんは子どもの頃の印象のせいか、既に吉之助の方に心惹かれているようなのです。が、肝心の吉之助は「どうやったら百姓にもっと楽をさせられるか」で頭がいっぱい。そんなほのかな恋心の行き違い(三角関係…)が、物語の彩りとして添えられています。

 

まずは主人公の挫折体験を、初回に続いて描写

あまりにも真っ直ぐで周囲がハラハラ

 第1回「薩摩のやっせんぼ」で他の郷中の少年に右腕の腱を切られ、剣術を諦めねばならなくなった主人公。落胆し、思い詰め、死をも考えていた彼の前に(偶然)現れた島津斉彬は、

 「侍が重い刀を二本も差して、そっくり返る時代は終わるんだ。かよわき者の声を聞き、民のために尽くせる侍となれ(意訳)」

と諭し、このドラマにおける西郷隆盛の「人生の方向性」を示しました

 

 その言葉を胸に秘め、18歳となった吉之助。第2回ではなんとかそのような生き方をしようと悪戦苦闘するのですが、これが一筋縄ではいきません。

 といっても、別に本人の努力不足という訳ではありません。そもそも幕末のこの時点では、もう薩摩における社会のシステムそのものが、どうにもうまく回らなくなっているんですね。

 非生産階級である武士が、日本の他の地域より多く(4人に1人は武士という説も)、従って百姓に課せられる年貢はことのほか重税(八公二民だったそうです)。先々代の殿様=重豪公が500万両という借金をこしらえたため、藩の財源はカツカツという状態でした。

 そのため当代藩主の斉興(鹿賀丈史さん演)は常に経済状態を第一に警戒しています。ちなみに異国との防衛問題に目を向け軍事費を増やしたい嫡男:斉彬とは全くそりが合いません。当代家老の調所広郷(笑佐衛門、竜雷太さん演)は敏腕で、この借金返済のめどを立てましたが、やはり藩の財政には引き続き目を厳しく光らせます。一にも二にもまずは財源確保、なのです。そのためであれば、例えば下っ端役人の間で不正や賄賂が横行しようが多少のことには目をつぶるというスタンスです。

 吉之助は、不正がなくなれば民百姓も潤うはずと信じて、不正を行う上司を諫めたり、年貢の徴収法を変えようとしたり悪戦苦闘しますが、どれも空回り。

 かえって勤めを始めたばかりの若い大久保正助に「今、下手に動いたら薩摩の財政はたちどころに崩れもす」と説かれてしまうのでした。他の郷中の仲間たちは、それ以上に引き気味に見ています。家族、特に父の吉兵衛(風間杜夫さん演)とは、「もっと弟妹のことを考えろ」とお説教される→親子喧嘩がルーティン化している模様。

 

ということで、西郷どんはまだまだ、四方八方に頭をぶつける「挫折体験」真っ最中のようです。

 

演技は素晴らしいけど…中身がややスカスカ

43分ってこんなに短かったっけ?

  まず感じたことは「初回に比べて短かった(体感)」。

 終わった時にもう43分経ってしまったか、と少しびっくりしました。多分それは夢中になっていたから、とかではなく、なんというか見終わってまだ余力があったからなんですね。で、それは何故かというと、ひとつには新しく受け取れた内容(展開という意味で…)が、少なかったからだと思います。

  子役編で展開された、①郷中のワチャワチャ感、②西郷どんのハートが温かくておおらかだけど少しピントのずれてるっぷり、③西郷家の窮乏、④西郷家と大久保家の親しさ、⑤島津一家の不協和音、⑥薩摩の財政危機と斉彬の対外関係に関する危機感、⑦西郷父子の噛み合わなさ、などがまた繰り返し描写され、それだけでわりと尺を取っていたような気がします。

 でもまあ、大河ドラマの子役時代は見ない、本役になってから見る、という視聴者も一定数いるかと思うので、それはそれで仕方ないのかも。

 

ふきちゃんは健気で可愛かったけど、結末はなんとなく予想がついた

 もうひとつは、見終わってからホント何故だったんだろうと色々考えたのですが、結論としては「ストーリーラインがあまりドラマチックではなかった」せいだろうという考えに至りました。で、今、これは痛いな…と感じてます。けっこう重大な理由ですよね。

 もう少し判りやすく説明すると、つまり、以下のようなことです。

 第2回の吉之助は「このままでは売られてしまう百姓の娘ふきを、なんとか助けてあげたい」という動機で行動を始めるわけなんですが、その行動がどれも、画面のこちらから見ているに、明らかにとても結果に結びつきそうにない。なので「これはどうも助けてあげられそうにないよね」と、途中からうすうす察せられてしまう。

 なので、主人公の空回りとそれでも一生懸命な様子に同情はできるんですが、本気で物語に入り込むことができませんでした。

 ふきちゃんは可愛く切なげな魅力があり、演じる柿原りんかさんも薩摩弁も演技も上手で、売られていくのを黙って見ているのは、確かにしのびないんですけど。

 そしてまた、他の役者さんたちも、とにかく額に汗して走り回る主演の鈴木亮平さんを始め、熱演だったり間も良いし、演り過ぎもなく、総じて好演技ばかり。なので、パートパートはそれなりに楽しめるんですが、見終わると「アレ?今見たものは結局何だった…?」な感じでした。残念。

 いや、はっきり言ってすごく勿体ないよ!(個人の感想です、念のため。)

 

年貢の決め方が定免法でも検見法でも、借金返済に即効性はない

 そもそも、ふきという少女が借金のかたに売られるのは、一家が負担する毎年の年貢が重くて納められず、そのための借金を親が重ねてしまったからです。つまり、今ある借金をなんとかしないと、どうにもならない。

 が、なぜか吉之助は「年貢は毎年一定、という定免法(じょうめんほう)が適用されているのがおかしい。今年は不作なので、それでは年貢が重過ぎになってしまう」と考え、年貢の徴収にあたり、毎年の獲れ高に応じて増減する検見法(けみほう)に変えたい!と考えます。そのために、身分が低いため本来は面会出来ない相手、家老の調所広郷に直談判までします。

 (史実に西郷どんが別件ですが調所に直訴した、という逸話は残っているそうです。)

 いや、でも、それで今後はもしかしたら楽になるかもしれないけど、今ある借金はまず減らないよ?対策になってなくない?

 調所殿は「そこまで言うなら実際にやってみろ」と(寛大にも)折れ、我らが主人公は意気揚々と、迫村へ検見取りのための坪刈り(推定収穫量調査)に向かいます。ところが、百姓達も定免法対策として、届け出ていない隠し田を作っていました。吉之助はその田を発見してしまい、平六(ふきの父、ドランクドラゴン鈴木拓さん演)ら迫村の百姓達は、「納めるべき年貢がかえって増えてしまうので検見取りはご勘弁を」と彼に泣きつくのでした。意気込んでいた吉之助、呆然悄然。

 しかし、隠し田。ああ、既視感…。

 ここでtwitterはひとしきり盛り上がりました(余談ですが)。昨年の「おんな城主 直虎」でも、第7回「検地がやってきた」で、隠し田(隠し里)が役人に見つかってしまうというハプニングがあったんですね。今回のこのエピソードは、それを意識した大河ドラマファンへのサービスの一種と取っていいのかなぁ。

 とはいえ、検見法でも定免法でも、絶対に年貢は納めなければならないわけで(あたりまえ)、娘を売るほどにかさんでいる借金を返せるほど、お金が残るわけがありません。

 おまけにもう少し細かいことを言わせて貰えば、隠し田を発見する以前の場面で、既に平六は今年の年貢を納めています。なのにその後、坪刈りをする意味ってそもそも、何なんだろう…。

 ていうか、なんで年貢を納めた後も未収穫の稲があるの?隠し田以外にも?

 

 更に吉之助はその後「こいでは平六どんもふきどんも浮かばれん、そいでも曲がったこつは見逃すわけにはいかん…」と悩みます。が、吉之助さぁ、悩みどころはそこじゃないのでは。というか、吉之助にしてみれば武士(まがりなりにも為政者側)として、そこが悩みどころなのは理解出来ますが、ストーリー展開としてはそこで悩まれては「ちょっと待ってこれじゃ話が迷走してる」としか、言いようがないと思うんですよ。

 西郷どん、あなたは可哀想な娘を助けたいのか、複雑になってしまってる藩政(農政)の状況を改善したいのか、優先順位はどっちなんです?そこがあやふやだと、観ている方としてはどこに共感してよいものやら、中途半端な気分になってしまうのですよ。

鈴木亮平さんのせいじゃありません。脚本・設定ですよ変なのは。。)

 

やっぱり”糸どん”の扱いが気になります

実際の年齢を無視したキャラ設定が今回裏目に出ていた

 もうひとつ「これはまずいんじゃないかな」と感じたのは、岩山糸さんの扱いでした。少なくとも今回は、という条件つきではありますが(総合的な評価にはまだ早過ぎるでしょう)。特に問題を感じたのは実際の年齢より上に設定してあるため、劇中での年齢が不詳になってしまったことです。

(実際は、糸夫人は西郷隆盛より15歳年下のため、この時点ではまだ満2歳ぐらい。)

 

 実はドラマ内でのふきの身の振り方につき、吉之助もそれなりに気にはしていて「糸どんの家で下働きに雇ってもらう」という案を提示していました。糸の方は「うちも貧乏じゃっどん、父に頼んでみもす」という返事で、ふきは希望を持ちますが…。

 後になって糸は申し訳なげに「やはり家に人を雇う余裕はないと言われた」とふきの家に断りに来るのです。

 この場面に関し、私はとあるレビューで「子どもにあの梯子外しはきついだろう」と批判されたのを見ました。でも。これ…。

 多分、多分ですが、糸の年齢設定もおそらくかぞえの13~14か、いってせいぜい15くらいの少女だと思うんですよね。なぜかというと、赤山家に(嫁入り前の)下働きの奉公に出ている+男の酒席に靱負が伴う場面があった(一人前の女扱いされてないらしい)、ということで、まだ大人ではないのだろうと想像できるからです。

 でも、演じる黒木華さんには初々しさとほんのりとした色気が同居している佇まいの魅力があります。そこが前半の正助に一目惚れされるところなどでは、非常に良い効果を上げているのですが、いかんせん、あのシリアスで重要な場面でも大人びたイメージを拭い去ることができず、本来の長所が裏目に出てしまいました。吉之助と同じ18歳くらであれば、売られていくはずの子をぬか喜びさせてはいけない、という判断もできそうですからね。

 もちろん、黒木さんも実年齢よりずっと若く、幼さを感じさせる演技をされてますので、俳優さんのせいでは全くありません。何歳だか見当もつかないという、設定自体が無理筋過ぎるのだと思います。

 

 この「糸はたぶん14くらい」という目線で見れば、彼女が無邪気に吉之助の後をついて歩き、吉之助も悪気がないことなどにもおそらく納得がいくのではと思いうのです。

 ですが、例えば実年齢どおりの設定である大久保正助のことを「あれは15歳だ」と自信を持って見ることができるのと違い、何も予備知識がないまま目に映る印象で判断せざるを得ないため、ちょっと違和感が残る回になってしまいました。

 そういえば初回で糸を演じた渡邉このみさんも11歳にしては少し大人っぽく、背丈なども出演した子役の中でなら小柄ではなかったですもんね。どうしても糸が吉之助の年齢に近いように見えてしまうのです。

 

糸どんパート隠し田パートなしでビターに作った方が良かったと思うよ

 ここで少し、私の個人的な好みと素人考えでの妄想になりますが、もうちょっとこんなだった方が良いんじゃない?と思ったことを書いてみますね。

 

 今回、しつこいようですが岩山糸さんを演じる黒木華さんが本当に可愛くて、見てて癒やしだし素敵だし魅力です。でもドラマ的には、やはり彼女の出番をなしにして、もっと別の膨らまし方をした方が良かったのではと思っています。スイーツを入れたことでドラマの本筋が弱くなってしまっていると感じました。なんなら糸どんのかわりに正助どんが絡んで、2人の絆をもっと描いても良かったかも。

 借金のかたにふきを連れて行こうとする女衒ももっとあっさりした存在でよく、乱暴な感じじゃない方がいいと思ったんですよね。なにしろ彼ら、最初の登場場面では吉之助が帯刀の武士、しかも藩の役人であるのにもかかわらず、怯まず暴力で応対しようとしてましたからね。二本差し(=武士が重い刀を二本も差している)の意味が…。明らかに違和感がありました。

 なのでそういう、歴史ドラマではなくどっかの時代劇でよく見かけるような描写はなくした方がよい。

 代わりにふきの親夫婦がもう少し擦れた感じで、表面的には積極的にふきを売ろうとしていた方が良かったのでは。

(親の方は苦労を重ねてやけっぱちになり、偽悪的な態度を取っている感じです)。

 行きたくないと抵抗するふきと親との葛藤を見て吉之助が心を動かされ、何とかしてやろうと足掻くうちに不正が横行する年貢取り立ての裏側をも知り、動揺する…そしてふきも結局売られる…という展開だったらもっとスッキリして良かったのでは、と、私は勝手に想像してしまいました。

 そのあたりの心理描写に時間を割くので、隠し田パートもなし。今の感じだと前述した通り、話の芯の部分(ふきを助けたい吉之助はそのミッションを成功させられるのか?)にはあまり関係ないので、検見取りとか定免法とか、要するに大河ドラマなので歴史パート出しました、的な印象しかないのですね。だったらいっそ無い方が良いと思います。

 調所広郷の出番はあった方が良いので、彼とは出会っても良いのですが。

(まあこれは全て妄想というかたわ言です。そう受け取ってね。)

 

 

それでも次回以降に期待します

 と言う訳で、第2回の感想はまた色々と辛口になりました…が、まだ疑問に思っていることは少し残っています。ただ、それはまたおいおい、必要であれば書こうと思います。まだ第2回であまり突っ込みすぎるのも気が早過ぎるだろうと思いますので。

 まとめてみますと、言いたいことは大きく分けて2つ、①ストーリー展開の芯(及び主人公の心の力点)がブレブレだったよ、と、②糸どんがこの時点で吉之助の人生に関わっていることの効果がやや疑問、この2点です。

 ともあれまだ2回目ですので、あまり点を辛くしないでいようと思います。次回以降に期待。

 

おまけ:予感したこと

 最後に、ここまで2回観て予感したことをひとつ。

 この「西郷どん」、西郷さんが女性からも様々な影響を受けてきたのだーという視点を重視して、物語が語られていくのかもしれません。

 オープニングでのキャスト並び後半部は、父西郷吉兵衛より母西郷満佐の方が後で、島津斉彬の直前ですし。初回の糸ちゃん、今回のふきちゃんの存在感も、そういう見方をすると納得がいくような気がします。