銀樹の大河ドラマ随想

2018年「西郷どん」伴走予定。「おんな城主 直虎」(2017)についても平行して書こうかと。

おんな城主 直虎 第1回「井伊谷の少女」 感想

幼なじみと竜宮小僧と首桶と。

第1回:2017年1月8日(日)「井伊谷の少女」。初回55分拡大版。

あらすじ

 アヴァンでは舞台が戦国の西遠江・国衆井伊氏の治める井伊谷(いいのや)であることを紹介。物語開始当初には遠江の東隣・駿河の大名、今川家が勢力を拡大し、井伊谷を含む遠江全域を武力により支配下に組み入れたことも説明。

 井伊家当主井伊直盛(杉本哲太さん演)の娘:とわ(後の直虎、新井美羽さん演)は活発で、日々袴を履いて男の子達と駆け回っている。直盛の叔父:井伊直満(宇梶剛士さん演)のひとり息子:亀之丞(後の直親、藤本哉汰くん演)、井伊家家老:小野政直(吹越満さん演)の長男:鶴丸(後の政次、小林颯くん演)とは殊に仲が良く、井伊家菩提寺龍潭寺(りょうたんじ)で共に手習いも受ける仲。

 この時、直盛の子は女子のとわのみで、跡継ぎの男子がなかった。そのため直盛にとっては従弟にあたる亀之丞が将来とわの婿に入り、それをもって井伊の家督を継ぐと定められる。ところがその裏で直満は、井伊の主家にあたる今川家から離反し、今川と敵対している大名:相模の北条家と結ばんと密書をしたためていたのだった。だが、その文書は今川寄りの立場を取る家老小野政直の手に落ち、計画は今川に漏らされる。

 ほどなく、直満は駿府から呼び出しを受け弑されてしまう。のみならず亀之丞の首も差し出すよう命令(下知)が下るが、井伊の一門は、まだ幼い彼を夜陰に乗じ密かに逃がす。

 

美しい自然、駆け回る子ども達。これはジブリの世界?

  初回を観たtwitterのTLが「ジブリだ…」で埋まった気がします。実際、サブタイトル「井伊谷の少女」は「風の谷のナウシカ」から取られているようです(※放送年=2017年末の公式twitterでされたサブタイトルの由来紹介を参照しました)。

 主人公のおとわは男勝りで勝ち気で、鬼ごっこで追い詰められても、捕まるくらいなら!と滝に飛び込んでしまうような元気な子です。後で、着衣で川に入ったことを乳母に咎められた時もあっけらかんと「捕まらなかったー」と言い返し、平気のへいざで館へ駆け戻ります。走りながら大声で「お腹空いたー」と叫びながら。その途中、馬の野駆けに出ようとした父の直盛を見つければ「われも連れて行って下さい!」とせがみ、軽やかに馬を走らせます。「風邪をひきます」と止める乳母のたけ(梅沢昌代さん演)に「風邪などひいたことはなーい」と背中で言い残して。

 この子役期は計4回=1月いっぱい続き、放映当時は賛否両論…というか、どちらかといえば否定的な意見が多かったような気がします。主人公のおとわは活発ですが知恵の回る子ではなく、ピンチもがむしゃらに気力のみで切り抜けようとするため、観ている方がハラハラさせられてしまうのでした。しかもその「ピンチ」というのが子どもの世界の話ではなく、戦国のどシリアスな展開をかろうじて運良くかわす、という形だったので…。

 前年(2016年)の大河「真田丸」が、腹の据わった武将達が戦国を舞台に本気の駈け引きを繰り広げる、というものだったせいもあり、この井伊家の物語が始まったときは、実は私も「これで本当に大丈夫なの?」と首を傾げながら観ていました。

 (後にこの時の懸念はまったく杞憂だったとわかるのですが、それはかなり後のお話)

 

紅一点のおとわの両手に、花のような男子2人

 おとわの2人の幼馴染み、亀之丞と鶴丸はそれぞれ見た目も美しく、亀之丞は気が優しく横笛が得意、鶴丸は賢くて、おとわに負けず劣らず勝ち気な少年。2人ともおとわのようによく言えば真っ直ぐ・やや辛口に評価すれば単純、という訳ではなくて、お互いにコンプレックスもありそれ故の陰の部分も見せています。この2人の役の解釈や表現は素晴らしくて見応えありました。

 鶴丸は、父小野政直が井伊家中では異端視される存在な(反今川の風潮が強い家中でひとり今川寄りの立場を取っている)ため、本人も周囲の大人達によく思われていません。そのことを子どもながら既に気づいており、難しい立場に苦しんでいます。

 亀之丞は身体が弱く、笛以外のことに自信を持っていません。幼馴染みのうち鶴丸は頭の回転が速く物覚えも良く、賢いタイプ。もうひとりのおとわは、とにかく元気で丈夫…なだけでなく、馬を楽々乗りこなしたりとスポーツ万能タイプなのですね。ついつい2人と自分を比べてしまい「何の取り柄もない」と落ち込んでしまうのでした。

 2人とも、画面のこちら側から見たらじゅうぶん物わかりがよく頭の良い子で、人の気持ちも思いやれるし、良い子達なんですけどねぇ。おとわ、両手に花状態だよ。

 

龍潭寺南渓和尚と猫、そして竜宮小僧伝説

 そんな幼馴染み3人組、特に井伊家のひとり娘であるおとわを陰に日向に見守っている存在が、菩提寺龍潭寺の住職である南渓和尚(小林薫さん演)でした。

 和尚は当主直盛の祖父(おとわの曾祖父):井伊直平の子息であり、亀之丞の父直満の兄弟にあたります。直盛も出家したこの叔父を頼りにしているらしく、内密の相談事などしているようですが、当の和尚は昼間からお酒を飲んだり(しかもお供え物)、どこへ行くにも猫を懐に入れて歩いたりと、飄々として掴み所のない風情。

 (またこの茶虎の猫がおとなしくてえもいわれぬ愛嬌がありとても可愛いく、後に和尚の法名にちなんでにゃんけいさんという呼び名が定着しました。)

 とはいえ禅宗(龍潭寺臨済禅の寺)の僧侶らしく、この南渓和尚は時折、子ども達に謎かけもします。「(井伊の)ご初代様が井戸の中に捨てられていたというが、なぜ(井戸の中で)生きておられたのじゃと思う。」等。また、おとわを見守っていることを当人に気づかれないよう「それは竜宮小僧のしわざかもしれぬ」と煙に巻いたり。ただの酒飲みか、本当は鋭い大物なのか、どちらかわからない謎の人物像です。

 

ところでこの竜宮小僧というのは地元の伝説で、知らぬ間に田に苗を植えておいてくれたり、洗濯物を取り込んでおいてくれたりする、人が困っていることを知らぬ間に手伝ってくれる謎の存在(ドラマの公式ホームページより)なのですが…。

 

 亀之丞がこの第1話後半で父を失ったあと「自分は身体も弱く取り柄もない、井伊の家に生まれただけのできそこない」と嘆いた時、おとわは(いつか妻となる)自分が亀の代わりに村々を回り、いざとなったら戦にも行く!だからそんな(悲しい)ことを言うな!と励まします。その言葉に心打たれた亀之丞が「おとわは俺の竜宮小僧になってくれるのか」と返し、おとわは力強く頷くのです。

 このときが実は、この物語におけるおとわ=直虎のアイデンティティーが確立した瞬間でした。

(この伝説絡みの展開が、これはジブリだね、と言われた所以のひとつですね)

 

戦国期、人の命はあっけなく散る

首桶となって帰ってきた亀之丞の父

 さて、ジブリ風と形容してしまうと牧歌的な感じですが、「おんな城主 直虎」は基本はビターな物語です。それはこの始まりの第1話から徹底しています。

 物語後半、3人の幼馴染みたちは竜宮小僧探しをして山中で遊んでいる時に、偶然、殺された山伏の死体に遭遇します。驚いて大人たちー井伊直盛南渓和尚ーを呼びますが、2人は死体に不審な点があることに気づくと、子どもらを死体の側に放置し、急ぎ館に戻ってしまうのです。こんなこと、現代ならまずあり得ないですよね。

 3人も後から井伊の館の方へと帰りますが、そこで待っていたのは、駿府に呼び出され謀反を暴かれた、井伊直満の首桶でした。駿府の主、今川義元の命によって成敗されてしまったのです。直盛から悲痛に、しかし率直にその事実を告げられた亀之丞は、魂の底から絞り出されたような声で「父上、父上、父上-!」と首桶に呼びかけます。一方、鶴丸はこの残酷な顛末には父政直が関係していると気づき、青ざめてその場を走り去るのでした。

 

ここから先は運です

 しかし井伊谷の人々には、ただこの成り行きを嘆き悲しんでいる暇などありません。今川家は、直満の嫡子である亀之丞の首も井伊家に要求していました。謀反に繋がる禍根は断っておきたいのです。

 井伊の館には夜分、川名の里から隠居の直平(前田吟さん演)が到着し「これは小野の仕業か、まだ9つの亀之丞の首もお前は今川に渡すのか」と、孫である当主直盛に刃を向けつつ詰め寄ります。直盛は直満の臣・藤七郎を供に付け、亀之丞を逃すことにしました。

 その話をおとわに打ち明けたのは、母の千賀(財前直見さん演)です。娘を気遣う母の想いをにじませながらも、謀反人と見なされた人の子を逃がすリスクを真正面から説きました。とわに「亀之丞はどうなるのか」と問われた時も真っ直ぐに「ここから先は、(生き延びられるかどうかは)運です」と誤魔化さずに答えます。この千賀という女性はこの後も亡くなる時まで戦国の女性らしく毅然としながらも、優しく、心遣い細やかで、素敵な人でした。

 

ドラマとしては骨太だが大河としては未知数だった初回

 美しい自然をロケ(岩手県で行われた)で描写し、子役達も芸達者を見せ、今川家と井伊家の関係、今川からつけられた家臣(奥方:千賀の実家)新野家と井伊家の関係、井伊家と家老である小野家の関係などをさりげなく紹介し、文武の教育所でありアジールである菩提寺龍潭寺の存在も紹介。密書や諜報活動、謀反、斬首など戦国らしさも初回から存分に活写。盛りだくさんで、骨太であることを見せつけられた初回でした。

 とはいえ、ドラマ中で命の危険に晒される亀之丞は歴史上、この時は生き延びて成人し、井伊直親(三浦春馬さん演)となることが視聴者には予め知らされています。そういった意味では緊張感MAXとはいきませんでした。これは、歴史を題材にした大河ドラマの宿命というか、制作側から見れば不利な点だと思います。

 果たして、今後、歴史ドラマとして面白い展開となるのか?については、この時点では視聴者にとって未知数だったと言えるでしょう。前作「真田丸」が少し後とはいえ同じ戦国期に題材を取った傑作だったため、どうしても比較対象になってしまうというハンディもありました。

 

 先が見えない。

 

 ひとつ、言えることは視聴者も、登場人物たちも、この時から同じ地平に立っていたな、ということです。

わたしたちは、揃って先が見えない場所にいた。

 

 でも、この「視聴者も登場人物たちも同じ立ち位置」という希有なポジションを、思えば、この「おんな城主 直虎」は最後まで保ち続けたのでした。そのことは、このドラマを観る者を、結果として深くドラマの中に入り込ませることになりました。

 「おんな城主 直虎」は、今までに誰も経験したことのないような「体験型の大河ドラマ」だったと思います。この物語はその点で唯一無二でした。今後も似たような作品が果たして出るかどうか…。

 1年後に、追想としてこうしてブログを書きたいという思いに人を駆り立てるドラマが、他にあるでしょうか?ー今後も、時々このことを思い出しながら、綴っていきたいと思います。