銀樹の大河ドラマ随想

2018年「西郷どん」伴走予定。「おんな城主 直虎」(2017)についても平行して書こうかと。

西郷どん 第1回「薩摩のやっせんぼ」 感想

西郷どん始まる。 

第1回:2018年1月7日(日)「薩摩のやっせんぼ」。初回60分(紀行を含め)拡大版。

あらすじ

 現代の上野公園・西郷隆盛銅像の画面から、1898年の銅像除幕式に(ここまでアヴァン)。オープニングをはさんで、更に天保11年(1840年)、西郷隆盛の子ども時代(幼名=小吉)まで遡り、いよいよ物語が始まります。

 小吉が下鍛冶屋町郷中の仲間達と過ごす日常風景の描写から始まり、未来の主君・島津斉彬(この当時は世子)との運命の出会い、また未来の妻・岩山糸との運命の出会い、そして、右肩をケンカで切られ、それにより右腕が生涯使いものにならなくなってしまう…という、最初の試練が描かれました。

 なお、主役の鈴木亮平さんはオープニングテーマにしか登場せず、第1話で主人公:西郷小吉を演じるのは一貫して子役の渡邉蒼さんです。

 

印象・みどころ・その他

 まず映像が美しく、大変好みでした。ロケでの自然描写も良く、セットでの場面も陰影のつけ方などが「薩摩という地域の南国らしさ」を解りやすく演出していると思います。ドラマの舞台になる場所を非常にわかりやすく視聴者に提示しているし、空気感まで伝わってきます。コンテとかカット割りと言うんでしょうか、撮り方のセンスも素敵だと思いました。観ていて飽きない画面展開です。

 

 次に、登場人物の使う「薩摩弁」のインパクトが大! これはtwitterでも散々呟かれていました。薩摩弁にうとい人は字幕を表示して見るべきでしょうね。ただ字幕も薩摩弁そのままなので「それでも判らないよ!」という方もいるとは思いますが、私自身は、そこはこれから慣れていけばいいや、という気持ちでいます。

 映像展開がわかりやすい(演技もメリハリが出るよう演じられています)ので、よっぽど聴覚優位でセリフに頼ってしかストーリーを追えない、という方以外は、字幕onでかなり楽に鑑賞できるようになると思いますよ~。

 

 演技も緻密、かつ解りやすく、全体の粒がよく揃っていると感じました。役者さん方が好演されてますし、演出さんのまとめ方が良いなと。一本芯が通ってる感じで。加えてストーリーも非常に良く纏まってるなぁという印象です。「人物紹介」「舞台紹介」「時代背景紹介」「今後の展望予感」がきちんと提示され、長期連続ドラマの初回という視点で考えれば、申し分ない感じがしました。

 

薩摩と子どもの世界とケンワタナベ。

 更に良かった点を少し詳細に列記するとすれば、

・「ややクラシックだがリアリティ溢れる子どもの世界」描写、

・「少々ファンタジックだけどスケール感が大きく説得力ある、渡辺謙さん演じる薩摩藩世子:島津斉彬とその周囲」描写、

・それを支える大人脇役陣の過不足ない好演、

・鹿児島ローカル色を全面に出した表現による、土地(=ある地方)の持つ圧倒的なリアリティのパワフルさ。

ということになるでしょうか。薩摩の人=西郷どん、っていうアピール感ハンパなかった。あと主人公にとって生涯の師兼憧れの人:島津斉彬(ケンワタナベ)の存在感。

 

子役の演技マジすごいよ

 まず第1回で主役を演じた渡邉蒼くんについて。

 感情表現がものすごく胸に迫りました。大人顔負け!っていうより、子どもだからこそ出るであろうストレートな喜怒哀楽、逡巡、懊悩が内側から溢れ出てくる感じ。これはスケールの大きい役者さんになりそうだなあと期待が膨らみます。

 特に、それまで剣術に才能を示し周囲から期待もされていた小吉が、右腕の負傷によりもう剣は振るえぬと診断され、絶望のあまりひとり泣く場面は本当にすごかったなと。しばらくのあいだ画面に彼ひとり映るんですけど、本当に目が釘付けになる。

 薩摩では武士は武芸第一だよ、っていう状況説明がそれまでにきちんとなされていたおかげもありますが、将来の出世の道が断たれたどころか、今現在の郷中(ごうちゅう=近所の武士仲間でムラのようなもの)においても、ただの役立たずに立場が転落してしまう。小吉は聡い子なのでそれをあっという間に悟るんですね。自分を大事にしてくれているお母さん(西郷満佐=松坂慶子さん演)も、小吉のために嘆き悲しむ。その悲嘆をもまた自分の身に背負ってしまう、それが小吉という子なんだということ。その倍加された苦しみ。全て伝わってきました。

 そして小吉だけでなく、他の子役さん達の演技も生き生きとして見事です。

 このことに関しては、脚本も秀逸だなぁと素直に感心しました。初回視聴時は小吉の演技にすっかり目を奪われてしまいましたが、見返してみると、ちゃんと、セリフで各々の性格が出るような描写がされてるんですよね。

 例えば大久保正蔵(後の大久保利通、石川樹くん演)は、機転が利いて場の雰囲気を素早く悟る、とか、大山格之助(後の大山綱義、犬養直紀くん演)は直情径行型のジャイアン風味、などなど。

 でも、そのあたりを子役達が更に表情や仕草でもきちんと見せていて、本当に良かった。個々の役者さんも演出家さんも素晴らしいなと。

 このあたりは思うに、子ども達を出来る限り子ども達の世界(すなわち郷中仲間)の中で描写していて、大人との接点がピンポイントだったのも成功のカギだったんじゃないかなと私は感じています。大人の演技と子どもの演技の見せ方・合わせ方、その辺のバランスが絶妙だったと思うのです。

 

世界のケンワタナベはマンガ・アニメ的に演出される

 それからtwitter上でも大絶賛の嵐だった、薩摩藩世子:島津斉彬役の渡辺謙さん。

 ハリウッド(「ラストサムライ」等)やブロードウェイ(「王様と私」)でも主演経験がある、って、こういうことなんや!、という圧倒的な存在感でした。セリフ回し役作り云々以前に、もの凄い王者オーラ。しかも良い意味で男っぽくて格好良い。気品とワイルドさがこのレベルで同居する方って、今他にちょっと思い浮かばないです、ハイ。

 少しだけ、大河ドラマ前作「おんな城主 直虎」で織田信長を演じた市川海老蔵さんと似た立ち位置かな、という感もあったのですが。直虎の背景は群雄割拠の戦国時代だったのでアレですが、幕末であの斉彬様だと周囲より頭ひとつもふたつも抜きん出るの、凄く分かる、分かるよ!というスケール感でした。眼福だ~。

 

 ここでの個人的注目(萌え)ポイントは「いやー、謙さんの出るところはめっちゃ2次元風味だったねー。でもそれが良かったねー。」ということ。

 あのアレです、紙媒体で超絶人気のマンガ(例:「ワンピース」とか「ジョジョの奇妙な冒険」とか)がアニメ化されて、あー良いね良いね、良い感じに動いてる!っていうのを見てる感がありました。これは2.5次元じゃんという雰囲気が、コスチューム(本来は他の人と同じように衣装と表現すべきなんですが、謙さんだとついコスチュームと言いたくなる)や、画面構成&カメラアングルからひしひしと伝わってきます。

 小吉と斉彬の最初の邂逅ー、小吉ら下鍛冶屋町郷中・高麗町郷中合同窃盗団(?)が、磯の御殿(薩摩藩主別邸)からのお茶菓子くすねを失敗し逃走する様子と、同時に和洋折衷な服装の斉彬と謎の坊主技術者集団が大筒(おおづつ)の発射実験をしていて、それもあえなく失敗に至る様子、それが交互に画面に映されます。顔中真っ黒な斉彬(ゴーグル着用)と、全身ホコリだらけでやっぱり顔も真っ黒になった小吉が出会い、ここも交互に表情が映されるんです。このあたりが特に、一番アニメっぽかったなと感じました。でもそれが不思議なワクワク感を醸し出していて、秀逸だとも思います。この場面、子どもも絶対楽しめるよ!郷中の子どもたちが、斉彬の格好があまりに自分の知ってる大人のいでたちと違い過ぎるせいで、すっかり彼を天狗と思い込むところも、ああ分かる分かる、っていう感じで説得力あるしね!

 (磯の御殿に皆で忍び込もうとする前に「そのあたりには天狗がいるらしい」という噂が紹介されてます。これ実際、本当に伝説があったのだそう。)

 ちょっと話がケンワタナベから逸れますが、その前段階の、磯の御殿襲撃(お菓子目当てw)も、おそらく子ども達の動きを早回しして、アニメ風味に見せてますよね。あんなに早く動いたり走ったりできるわけない。そのコミカルさもマンガチックな感じで楽しかったです。子どもとはいえ仮にも武士の子が、藩主様の御殿からお菓子を盗もうとしていいのか…という逡巡を、この視覚的効果で紛らわされてる感もありましたが…。

 また謙さんに話を戻すと、その後の登場場面、磯の御殿での島津一家顔合わせ(藩主:斉興、お国御前:お由羅の方、斉彬弟:久光)も少しコミカルさが強調されて、どこかマンガ(というか戯画化?)っぽかったような。

 2度目に小吉と出会う妙円寺詣りの場面はそれほどでもなかったですが、3度目の出会い場面も、ロングショットの撮り方にどこかアニメのような雰囲気があったような気がします。3度目の出会いのところは馬に乗った斉彬の動き(というか馬の動かし方・操り方でしょうか)が巧みで、その辺も俳優さんの演技を観ているというより、まるで絵の上手いアニメーションを観てるよう(褒めてます)だったと思うのです。不思議な体験でしたね。

 

じんわりと感じる薩摩の異国感

  公式サイトにも記事等出ていたような気がしますが、スタッフさんが撮影や美術、メイクにもかなりこだわられたようで。「この作品(序盤)は、薩摩=鹿児島が舞台ですよ」、というのが細部から立ち上るように感じられました。

 光と影、出演者の汗ばみ、音楽、そして薩摩弁。で、改めて感じたのですが、いやー土地の持つパワー・存在感ってすごいんだなと。自分自身は東京で生まれ、東京及び南関東諸県で過ごし、ルーツも東北など日本の北部なので、ものすごい”異国感”を感じたのです。ただそれは、真っ正面から突きつけられるような違和感ではなくて、作品にゆったりと流れている低音の響きのような感じで、パワフルだけれども圧倒され過ぎることなく、受け止めることができました。楽しかったです。

 多分これ、鹿児島県の方や出身の方には(もちろん)異国感ではなくて、懐かしさとかふるさと感がわーっと来るんじゃないかな?ので、このあたりは地元の方は地元の方的に楽しめる要素なんじゃないでしょうか。そういうことって、大河ドラマ的にはとても大事ですよね。と、私は思っています。

 

女の敵は女…じゃないと良いなと願いつつ

 さて、「西郷どん」初回放送、ここまでほぼ絶賛で約4,000文字も使いました(笑)が、大河ドラマとして見るに、いち大河ドラマファン目線では、不安要素もいくつか感じなかった訳ではなく。第2回以降がどうなるか、ドキドキ半分、期待半分という感じです。それは…。

 

幕末薩摩の男尊女卑。どう描かれるのか…

気になるところの第一。

それはドラマのヒロイン枠とされる西郷隆盛の3番目の妻、糸の立ち位置です。

(西郷糸=旧姓:岩山糸、本役:黒木華さん、子役:渡邉このみさん)

  

 第1回では幕末薩摩国では男尊女卑が日常具体的に行われている、そういう様子がさりげなく描かれていました。西郷家の夕餉シーンでは、祖父の龍右衛門、父の吉兵衛、小吉と弟の吉二郎が共に膳を囲みますが、祖母や母そして妹達はその時、手仕事をしています。女の食事は男達が済んだ後なのです。

  そんなストーリーの中に登場するヒロインの少女時代=糸ちゃんは、小吉の属する下鍛冶屋町郷中と川をはさんだ向こう側の高麗町郷中の少年達が、川で遊び半分・喧嘩半分で戯れているところを橋の上から羨ましげに眺めています。2つの郷中の子らは下士の身分で身なりも粗末ですが、糸ちゃんは小綺麗な薄赤の着物に身を包んでいます(赤い衣料染料は当時高価だったため、薄い赤でも赤系の着物は経済的余裕の印)。

 そしてある日、男装して彼らの前に現れ、磯の御殿襲撃(お菓子窃盗目的)に加わるのです。また後に行われた「妙円寺詣り」という男児の行事=先祖伝来の甲冑に身をかため、関ヶ原の合戦に参加した島津義弘公の墓所に遠足する行事、郷中単位で順位を競う=にも、なぜか下鍛冶屋町郷中の一員として参加し、なんと全体の一着を勝ち取ってしまいます。しかし、そこで他の郷中(おそらく彼女が本当に住んでいる場所のグループ)に属する少年に、正体を見破られてしまうのです。そのため、「女子が混じっとるぞ!」と、島津義弘公の墓前で子ども達が大騒ぎするという展開になってしまいました。

 そしていくつかやり取りが交わされた後、糸ちゃんは小吉に向かってこう叫び、走り去るのです。「男にないたか。女子になった事のなかおはんには、分からん!」

 うーん。見ててなんか…気まずい。

 

 糸ちゃんを演ずる渡邉このみさんの演技は上手く、嫌味のないものだし、溌剌としていて、ああこの子が男の子に混ざりたいの分かるなぁ~、と素直な感情が湧くんですよね。だがしかし、です。

 そもそも、西郷さんは男尊女卑解消のために何かしたとか、ないと思うよ?

 西郷糸さん関しても、特に女性の地位向上に熱心だったエピソードとか、聞かないよ?

 なのに、周り中の全員が男子、成人男性の武士(帯刀してる)もいる中で、たったひとり女子として立つ糸に「ないごて女子は郷中に入ったらいかんとですか」ときっぱりはっきりした口調で主張させるのは、いったいなぜ…? どうしてわざわざそんな問題提起をここで?それってあり得ますかね(時代背景と地域的に。)?

 まさかとは思いますけど、西郷さんを現代人の目から見てもスーパーヒーローに描くために、未来人視点で人物像を補正する目的のエピソードじゃないですよね…?

 この場面、一瞬の気まずい沈黙の後、すぐにおしのびの兄斉彬を伴った島津久光が乗馬で到着し、ザ・渡辺謙劇場再び、という流れになったため、深くは考え込まず気持ちの切り替えができたのですが、正直、胸にザラッとしたものが残りました。

 

小吉、ジェンダー体験のため女装する

 しかし小吉はそのことを続けて考えます。「弱いものの身になれ」という斉彬様の言葉と共に。次の日(? 多分次の日…)、彼はなんと女子に変装して街中を歩くのでした。そして、荷車を引く人足に「女子は道の端を歩かんか!」と突き飛ばされる体験をします。

 えーとね、ここも…。女装というか、小吉の着ていたものは、どうみても長襦袢…。しかも真っ赤な。(そもそもあれは誰のもの?もしかして疱瘡除けに先祖代々1枚常備?)その上に手ぬぐいででしょうか、頭を覆っています。そんな、まるでお女郎のような姿で昼日中に街を歩いていたら「女子は道の端を歩け」どころではないような気がするのですが…。それこそ誰か知り人に見つかったら恥ずかしすぎて切腹案件なのでは、と思ったりもしました。とはいえ、幕末薩摩の歴史事情に詳しくないので断言は控えます。とにかく、このあたりも非常に違和感をおぼえたことは確かです。モヤモヤ。

 ただ、この場面で出ていた女中さん役の方の薩摩弁がネイティブ、とtwitter上で話題になったほど流暢だったり、息子を諫める父:吉兵衛役の風間杜夫さんの演技が軽妙だったので、ここも、気になりながらも、気持ちを次に進められる演出ではありましたけれども。

 

おんな城主 直虎」の後だから敏感になっているのか?

 上記で述べた2点に、私が何をどう引っかかっているかというと、つまり。

 なんとなく、女性をあまり大切にしていない表現だなあ、と感じるのですよね。

 糸ちゃんの件は、西郷糸さん、というかつて実在した人物へのリスペクトは?という疑問でしょうか。この部分が実在の女性を軽視しているような気がしてなりません。物語の中、しかも1話の都合でそんな思い切ったキャラ変をしていいの?、という。

 それも夫であった西郷隆盛さんという有名人物のために、無名の女性が軽く扱われているような気がどうしてもしてしまうのです。とはいえ、まだ第1話時点なので、これがわたしの杞憂で、最終話まで見終わった後は、そんなことをすっかり忘れてしまえていたら良いのですけれども。

 長襦袢の方は、見た目のわかりやすさのために、ちょっと品を落とした演出だったなあと思いますし、もう少しやり方はなかったのかと。

  昨年の大河ドラマおんな城主 直虎」では色々な立場の女性が敬意を持って描かれ、とても楽しく1年視聴出来たために、今年は私の感覚が敏感になっているのかもしれません。去年の「直虎」と一昨年の「真田丸」が非常に素晴らしいリレー関係だったので、その後だから、残念だと思う気持ちが多少強いのかとも。

 個人的なこうした理由のせいで気になるのであればそれに越したことはないな、考えすぎだといいなと願ってますが、こればかりは先を見続けないとわかりませんね。

 

 ともあれ、女性作家原作・女性脚本家シナリオの本作ですので、女性にリスペクトを感じられる作品であって欲しいなあと、女性の私は切実に思っています。残念な女性観を提示され、女性の敵は女性だ、みたいな気持ちになるのは辛いです。

 

 既視感があちこちに

 昨年一昨年の作品は好評だったけどやっぱりちょっと異色で、今年の「西郷どん」は大河ドラマの王道に戻った感があるね、とtwitter上でチラホラ見かけたような気がします。何が王道かについては、正直私はそれを決める手がかりを持たないのですが、既視感はそこここにあるよなぁーと感じました。

 

 例えば。

 今回、少年の主人公は未来の主君:島津斉彬と偶然、運命の出会いを果たします。同2013年の大河ドラマ「八重の桜」でも、同じく初回に主人公:山本八重が藩主である松平容保と(狩りの最中に事故で)出会い、感銘を受けました。この幼少期の出会いが八重の人生に影響を与えたという設定でした。 同作品はちょうど同じ幕末時期を會津藩側から描いた作品なので「ああ似ているなぁ」とつい類似を想起してしまいますね。

 また、最後に放映された予告によれば、この作品では岩山糸が成長後、西郷吉之助(隆盛)に淡い思いを寄せるようです。そしてガイドブックをチラ見したところでは、大久保正助(利通)が岩山糸に淡い恋心をと…。しかし糸さんは最初、全く別の男性に嫁ぎます。女1・男2のなんとなくな三角関係。これは、昨年の「おんな城主 直虎」の第一クールを思い出させる設定に感じられます。

 それから、河原で女装を父に咎められ、父子共々帰路につく小吉を(またも)橋の上から見ていた糸ちゃんが「おもしてか(面白い)人じゃ、小吉さぁは」と呟く場面があります。これも、大河ドラマではないのですが、がっつり既視感。

 2015年のTBS日曜劇場「天皇の料理番」に、「西郷どん」で成長後の岩山糸を演じる黒木華さんが、主人公秋山篤蔵の妻:俊子役で出演しました。この作品には「西郷どん」主人公役の鈴木亮平さんも篤蔵の兄役で出演しています。なので、つい、連想してしまうのですが…。主人公の篤蔵は当初、周囲から呆れられるような「ダメ男」として登場します。でもその篤蔵を俊子は、(かいつまんで言えば)「おもしろい人」と、ほのかにですが、好意的に見るんですよね(年月を経て、最後には深い夫婦愛で2人は結ばれます。ですが最初は紆余曲折大いにあり、の設定でした)。

 「西郷どん」予告でも「おもしてか人じゃ、吉之助さぁは」と大人になった糸さん(黒木華さん)が呟く場面が映りましたので、なんとなく重ねてしまうのです。この作品も明治末期~大正~昭和前期を描いた歴史ドラマで、俊子さんも髷を結っていましたから、ビジュアル的にも重なるところがあり。

 

 そしてまた予告&ガイドブックベースの話になってしまいますが、岩山糸さんは沢村一樹さん演じる赤山靭負の家に奉公するとか。赤山靭負は吉之助たちの先生格、という位置づけなのでそうすると、糸さんのポジションが、2015年「花燃ゆ」の杉文? え、え?え??という気持ちもあります。これが一番嫌な予感なので、当たらないで欲しいです、切実に。

 

 という感じに、全て偶然かもしれませんがこれらが積み重なった結果、私の中で「うーん、つぎはぎ感。これ大丈夫?」という気持ちが起こってしまっているのは否めません。

 

今年は過去2年より脚本執筆のハードルは高いかもしれない

 と、不安に感じる点を書き連ねてきましたが、ただひとつ脚本家さんに関して思うことは、戦国物を書くより大変なのじゃないか、という予想をしています。薩摩弁もですが、他の地方の登場人物もご当地言葉でやるでしょうから、締切的にはその翻訳作業を見込み、厳しいはず。

 それと「西郷どん」は原作物ですが、2017年に連載が終わったばかりの、新しい作品です。オリジナル脚本の場合、およそ2年前から打ち合わせ・執筆スタート的な報道がありましたが、中園ミホさんの場合はおそらく、その点で若干スタートが遅くなっているのではと思います。スタートが遅く締切が早め、ということで、昨年・一昨年よりハードルの高い条件で執筆されているかもしれません。そのあたりが裏目に出ないといいですね。

 

面白い歴史ドラマになりますように

 とにかくまだ初回終了時。全てに断を下すのは早計に決まっています。どの点についても、もう少し推移を見守っていこうと思います。

 とりあえず、主人公の人物像は分かりやすく、芯があり、好感度高く描かれていたし、役者さんも良かった。

 後は枠組み。歴史や時代背景、周辺人物の動きなど、幕末は特に複雑なので、そのあたりの辻褄が、視聴者が簡単に「あ、これブレてる」と思ってしまうような組み立てだと、必然的に物語も破綻してきてしまうでしょう。ここがカッチリ決まれば、歴史を扱う大河ドラマは面白いのです。だって歴史自体が面白い(興味深い)コンテンツだからです。今年も、願わくば、そちらに向かっていきますように。